安倍元首相銃撃事件で思ったこと その1 事件の整理

去った7月8日、安倍晋三元総理大臣が奈良県参議院選挙の応援演説をしているさいちゅうに銃撃されて殺された。

白昼に元総理が暗殺されたということだけでも衝撃は大きい(しかも歴代で在任期間最長であり、名宰相とする立場の方か悪宰相とする側かを問わず成し遂げたことが多く意識せざるをえない人物で、当然一議員となってからも影響力が大きな元総理だった(だからこそ応援演説に引っ張りだこだったわけで))。

しかし、その後の報道などでボケボケ考えたことを書いておきたくなった。

 

まず、事件のあった令和4年(2022年)7月8日だが、

この日の2日後、つまり7月10日が参議院選挙の投開票日であり、

8日は選挙運動の終盤であった。

安倍元首相(以下安倍)は本来8日は長野県で応援演説をする予定だったが、応援される対象の候補者のスキャンダルがでたため、その予定をキャンセルし、急遽奈良県で応援演説することになった。

そのためか、演説はいわゆる街宣車の上に乗る方法ではなく、車道よりほんの少し高い演説台に乗って行われた。そして、安倍の後ろに移動した犯人が演説中の安倍に向かい2度発砲した。1度目ははずしたが、2度目で命中し、結果的にそこで安倍を殺した。

ただし、公式発表としてはそこでは心肺停止状態であり、死亡確認はその後搬送された病院に安倍の妻、昭恵が到着してから行われた。

事件直後は、与野党問わず、少数の例外を除き

このような暴力は許さない。

民主主義の根幹たる選挙をこのような暴力で壊すことは許容できない。

などと、選挙の妨害、または政治テロに対する非難の声明をだしていた。

少数の例外とは、要約すれば

(安倍が殺されたことは)残念で悲しいが、殺されたことは(安倍総理の政治が招いたことで)自業自得

というコメントであった。当然このようなコメントを出した者たちは、ネット上で炎上した。

しかし、その後犯人が、暗殺の動機は政治テロではなく、新興宗教に母がはまったことによって家庭崩壊しており、最初はその宗教の幹部を殺そうとしたが果たせなかった。そこで標的を変えて、その宗教のイベントにビデオメッセージを寄せるなど関係の深い安倍を殺そうと思った。

と供述したあたりから、報道の論調が変わってきた。

これは暗殺事件の報道という意味でも、また後に書くがマスコミやコメンテーターなどの態度も変わってきたということである。

また、日本国内のみならず世界中から弔電、弔問、コメントが寄せられ、ブラジルとインドは国を挙げて服喪した。

国内では秋ごろに、武道館で国葬にする。その際の費用はすべて国費でまかなうと岸田総理が発表した。

 

少し長くなってきたので一度区切る。