司馬遼太郎の小説

まとめサイト司馬遼太郎の小説を史実と思うやつについて云々という記事があった。

 

司馬遼太郎の死後、彼の小説のことを史実と思う人や、その歴史観司馬史観)を是とする人のことを非難することを目にすることが多くなった。

彼の存命中にも多少はあったが、その死後とみに増えたように思う。

 

私はこの批判をする人たちがあまり好きではない。

もちろん、司馬の作品が史実とは異なる(ものによっては大いに異なる)ことは分かっているし、小説を史実と思って語る人たちのこともどうかとは思う。

しかし、司馬批判をする人たちはどうも死体蹴りというか、反論のこないことが分かっていてやっているような感じがするのだ。

 

また、主に2点が気になっており、

1点は司馬作品が発表された後の研究の進展によって、結果的に間違いになったようなこと。たとえば、北条早雲斎藤道三の出自についてなどだ。

司馬が作品を出した当時の研究で語られていたことや通説は現在では否定されていることが少なくない。それを取り上げて間違いだのウソだのと批判するのはどうかと思う。

もう1点はそもそも小説は歴史学のテキストではないということ。過去には歴史と文学はきれいに分かれておらず、物語がそのまま歴史であった。

有名なところでは、陳寿の書いた三国志(いわゆる正史三国志)の中に、諸葛亮劉表の息子劉琦と2人だけで会話して、他に誰もこの会話を知ることはなかった。とある記事などは、じゃあどうやって陳寿はこの会話の内容を書くことができたんだよ、と突っ込んでしまう。

さすがに現代の司馬作品をそのようなものと一緒には語れないにせよ、史実と違うからとけなす態度はいただけない。

なにより、小説や物語から史実に興味をもち、歴史学の研究にすすむものだっているのだ。

 

司馬作品は史実とは違うと鬼の首をとったかのように批判する人は、反対側の司馬作品はすべて史実通りで、学校の授業で教科書を廃止して司馬作品を使えと言い出す人たちと似たようなものに思える。ベクトルが違うだけで。