芥川賞をとった「推し、燃ゆ」を読んだ。
さっぱり分からなかった。
話の筋は分かるのだが、それに対する共感はまったくできないし、テーマも分からなかった。
ページ数が少ないこともあり、さっと読み終えた。文章が読みやすかったというよりも、何もないからはやく読めた。
重要なことが書かれていない報告書を読んでいるような感じだった。
その後、インターネットでいくつかの解説ページを読んだ。言われればそんな気もするし、分からなくもないが、やはり共感というか納得までは行かなかった。
話を変えて、アニメのさらざんまいをみている。
少し前にユリ熊嵐をみた。
ピンドラの劇場版を見ようかと思ったが、前後編に分かれているということで、DVDレンタル化するか、配信まで待つことにした。
上の推し、燃ゆとの関連でいうと、幾原作品は解説・考察サイトが林立したり、アンチも含め批判サイトも乱立している。
その解説や考察を読むのも批判を読むのも楽しいし、どれも一定の理解はできる。
推し、燃ゆはそれがないのはなぜだろう。
小説とアニメという形式なら、当然小説でも解説・考察などを楽しんだものは無数にある。
また、芥川賞受賞作だからというと、西村賢太や村田沙耶香など共感できたり、首里の馬のようにテーマ云々はともかく小説として楽しめたものもある。
もちろんそうでないものもあったが。推し、燃ゆはそちらの方であった。
何がその決め手となっているのだろう。