昭和中期からの詐欺、もといオカルト業界はあるものを欲していた。
それは根拠、特に科学的根拠である。
外国ではどうかわからないが、明治の開国以降、日本では庶民にいたるまで科学というものにたいして目をみはり、ひれふした。なんなら信仰とすらいえるほど科学を信じて来た。
もちろん、これはイコール日本人はみんな科学を「正しく」理解しているというわけではない。
ほとんどの日本人は科学的な感じがしていれば、実際には間違っていたり、更にとんでもない内容でも信じるということになってしまった。
そのことの是非は措く。
とにかく、極論ではあるが、日本人を納得させるには科学的な雰囲気をまとわせた根拠を提示すればいいということだ。
冒頭の話に戻ると、昭和の半ば頃から詐欺業界は行き詰っていた。
いわゆるオカルト商法的な、霊的なものだけでは引っかかる人しか引っかからないのだ。
より多くの人間をだますには根拠を示す必要がでてきた。
その際に「科学的」であることが求められた。
この科学的根拠(以降、やや使い方が不適当ではあるが、科学的知識と科学的根拠を一緒くたに科学と称する)には問題があった。
それは科学によって導かれたり予想される結果・未来が決まっていることである。
一例として、カエル(蛙)がはしごをのぼれば晴れ、はしごから下りれば(またはのぼらなければ)雨というものがある。
仮に、カエルがはしごをのぼらなかった(つまり雨が降るという予報となった)ときに、カエルをもちあげて、はしごの上にのせたり、その後はしごをはずしたとしても、雨が降る予報にかわりはない。
その意味で未来は決まっていることで、変更のしようがない。
当時の詐欺業界は、こういう定命的な科学には用がなかった。
湯川秀樹や朝永振一郎のノーベル賞受賞で、日本に量子論ブームがおこる。
いろいろなことを四捨五入して書くと、量子論は、ミクロな世界ではすべての事象が確率論的にしかわからない。つまり、確実にこうなるということは言えず、こうなる(こうである)確率が高いとしか言えないということだ。
このどういう状態か断言できないことを、詐欺師連中は
あなたの行動次第で状態や未来が変わる
と意図的に読み替えて、オカルトに応用したのだ。
あなたの亡くなった親や子は、地獄でまたは成仏できずに苦しんでいる。
あなたがうちらに寄付すれば、あるいはうちらに入信すれば彼らは救われる。
根拠は、霊は量子であらわされるエネルギーの一種で、成仏できていないとエネルギーの値がマイナスになり、云々とか
この一帯の水を飲んでるとやがて病気になる。
この水からでている波動を、シュレーディンガー方程式に代入して計算すると値がこうだが、この浄水器を通すと値が変わり云々とか
もちろん量子力学や量子化学といった量子論はオカルトとは違う。
とはいえ騙されないように理屈が通っているかをちゃんと調べようとする人ほど詐欺にあうという話もある。変に理解しようとはせずに、うさんくさいものには近づかないというのが意外に正しい方法だったりする。