さて、そろそろまとめにかかろう。
この江戸時代の、日本を「中国」と呼ぶのは、もちろん日本の方がチャイナよりも文明化されたという意識があるが、それは裏返せばチャイナの方が日本よりも下に落ちたというものだ。
そのため、本来は単にチャイナを指す地域の名前であったはずの支那に蔑称のニュアンスが混ざるようになる。
これは日本の敗戦まで絶えず継続して侮蔑の意味合いを強くしていく。
実際には吉川幸次郎や、後藤朝太郎のように支那通とよばれたような人々もいて、むしろ好意的に支那または支那人という用語を使っていた人々もいることはいた。ただし、それを日本人一般がそうであったとは言えない。
さて、チャイナ側では、仏教経典を読まない一般人が支那という呼称に触れるのは、日本の江戸時代後半くらいからである。それは日本が我が国(チャイナ)を指すときの呼称であるとして、である。
そして、辛亥革命前後で、チャイナの土地は王朝名と中国以外には呼び名がない(我が国は名前ではない)、そのため、チャイナを指す用語として、積極的消極的の程度に差はあっても、支那を使おうとした人々もいた。たとえば孫文、梁啓超、宋教仁などである。
しかし、多くのチャイナの人々は、支那の用法に差別の匂いを感じ、忌避したのも事実である。郭沫若ですら支那という用語を嫌がっている。
梁啓超が「わが国には国名がない」と言ったように、チャイナには王朝名以外にその土地や地域を指す呼び名はなかった。
たとえばエジプトは過去から現在、そしておそらく未来でもあの場所はエジプトである(現在は国名にしてしまったが)。そのためその土地を占める王朝が変わっても、プトレマイオス朝エジプトやアイユーブ朝と王朝名を冠して呼べば時代を特定できるし、時代よりも場所を限定したいときにはエジプトと呼べばよい。
しかし、チャイナにはエジプトにあたる呼び名は、実は現在にいたるも支那以外にはない。
中国は文明化された地域を指す相対的な呼称で、それをチャイナの意味に使いたくない者は支那と使えばよかったが、ここで問題が起きる。
ひとつは中華民国、ついで中華人民共和国の建国である。ここで中国は文明化された国ではなく、中華民国または中華人民共和国の略称という解釈が生じた。
時代や王朝・政権を限定せずにチャイナを指す用語は現在まで支那しかない。便宜上、中国という呼び方もあるが、これも本来の意味を考えると、ためらう気持ちはある。
しかしだ、とはいえ、学術論文などでどうしても使わねばならない時は別にして、相手がイヤだというものをあえて使う必要もないのではないか。
実際に江戸時代の終わりころから敗戦、いや現在まで好んで支那を使う言論人に、まったくチャイナに友好的な人がいただろうか。
JAPANの頭三文字の略称だ、といわれてもJAPと言われて納得できるかという問題と同じである。
とはいえ、中国というのもなあ、という気持ちは分かるが、、、、難しい問題だ。
最後に、上記の経緯で支那という用語ですら侮蔑のニュアンスに汚染されている。ましてや支那人という熟語は、戦前で一部の界隈でのみ(上記吉川や後藤など中国文学や中国史の研究者または支那通の人々)好意的に用いられたかもしれないが、その時期ですら侮蔑的な意味合いが強く、また戦後は言うまでもない。