中国とは何なのか。
それはチャイナを指す用語なのかと聞かれると、答えに困る。それはYESでもあり、YESではないとも言える(NOじゃないところが話をややこしくしている)。
中国というのは、明確な地名(地域名)を指す用語ではない。
まず、ある場所と、別のある場所の中間に位置する国を示す場合がある。この場合の国は、いわゆる国家とは限らず地域くらいを意味することがある。日本の中国地方(広島や島根のある地域)が諸説あるものの、その意味であるようだ。
もう一つは、文明化された国や地域を示す場合がある。
チャイナの人たちにとって、彼ら自身の国が周りの日本や朝鮮、琉球、越南(ベトナム)、その他シルクロードの小国に比べて極度に文明化されていることは自明のことであった。逆説的に、そうであるからこそ、それらの有象無象の国から使節が到来し、チャイナの文物を持って帰るのである。
そのため、チャイナの人たちは自称として中国を用いるし、他の国はチャイナを指す他称として中国と呼んだ。
なお、古くは春秋戦国時代のころ、山東半島にあった斉の国では、斉の首都近辺を中国と称していた。これは日本で、東京を都会、それ以外を田舎というのと同じ発想であろう。
上記の理由で、中国という用語は、チャイナの人たちにとっては、我が国という用語イコールであり、これは古往今来、未来永劫変わるはずなく自明のことであ(るはずだ)った。
しかし、本来の意味で考えれば、中国とはあくまで相対的な呼称で、チャイナ以外の国や地域がより発展し文明化されれば、中国はそちらを指す呼称となるはずだ。
ここで、また日本の話に戻る。
実際には日本ではチャイナを表わす用語は、漢と唐を代表として、過去の王朝名を使うことが一般的であった(漢字や唐揚げなど)。ちなみに漢土も唐土もチャイナの領域、チャイナの大地を指し、読みはどちらの場合ももろこしである。
さきほど平安時代から支那と使われていたと書いたが、それはあくまで空海のように経典に明るい人たちに限定されていた。
また、仏教関係者以外では、チャイナを中国と呼ぶと広島や島根のある地方と、どちらのことか分からなくなるため、日本の地方は中国、チャイナは支那と分けて書く人たちもいた。
それが変わってくるのは江戸時代中期である。
その頃に、実はチャイナよりも日本の方が、(都会化だけでなく、儒教的な解釈でも)文明化されているのではないか、という意識が高まってきていた。
そう考える人たちの著作では日本のことを「中国」と書くことが多かった。これは、日本がチャイナよりも文明化されていたかはともかく、中国の原義としては正しい。上述の通り、より文明化された地域があれば、そちらが新たな中国となるはずである。
そしてその場合にはチャイナは支那と書かれた。
むろん、荻生徂徠のようにチャイナ大好き、あくまでも中国はチャイナのことであるという人もいた。彼は江戸の中で数キロだけ西に転居した際、数キロだけ中国に近づいたと無邪気に喜んでいる。