輪るピングドラムの劇場版、前後編ともに観た。
まず、去った27日にブックオフで村上春樹のアンダーグラウンドをみつけ、110円だったので買った。
これはオウムの地下鉄サリン事件の被害者たちのインタビュー集である。
そもそも村上春樹を読んだことがなかったが、輪るピングドラムをみて「かえるくん、東京を救う」を読むために『神の子どもたちはみな踊る』を読んだ。
アンダーグラウンドは図書館で冒頭の数人分だけ読んだが、そこで止まっていた。
で、ブックオフでみかけて買ったというわけだ。
そして、昨日30日にゲオで輪るピングドラムの劇場版をみかけ、新作も(1泊なら)110円だったので、借りてきた。
ちなみにゲオに行ったのが19時近くということもあり、ほかのアニメ、映画、ドラマを問わず新作は軒並み借りられていた。
その意味で輪るピングドラムが残っていたのは嬉しいではあるが、、、。
寝る前に前篇を、起きてから後編を観た。
総集編に新しいシーンというか、ストーリーを付け加えたものだった。
体裁としては、運命の乗り換えをした後、冠葉と晶馬は子供の姿(施設にいたころの姿)になり記憶をなくしていた。自分たちが何者なのか、どうしてここにいるのかが分からなくなっていた。中央図書館空の孔分室でプリンセス・オブ・ザ・クリスタルとなっている桃果に「カエルくんピングドラムを救う」を読むように仕向けられる。曰く、これはあなたたちのことが書かれた物語だというふうに。
そしてその物語を読むことが、つまり総集編となっていく。
観ているときに思ったり、観終わったときの感想はさておき、
今回は励ましや救済を前面に押し出していた気がする。まず桃果扮するプリンセスの台詞が「きっと何者かになれるお前ら」であった。
陽毬のときは「きっと何物にもなれないお前ら」であったのに。
また、運命の乗り換えをして、別世界に行った(つまりこの世界からは消えた)二人を描き、最後には水族館に戻ってこさせたのも、何があっても(つまり犯罪を犯しても、あるいは死ぬほどつらいことがあっても)その後があり、人生は続くということを示唆している気がする。
で、幾原作品を解説しても仕方ないので(否定的な意味ではなく、本来的な意味で見た人の数だけ解釈や受け止め方があるため。ただし、合わなかった、つまらなかったという人は別として)、ササっと思ったことを書く。
まず、総集編かよ!ってことである。
そもそも大河ドラマの総集編しかり、アニメの総集編しかり。これは本編を見た人のためのものであって、いわゆる新規の人には向けていないのではないか。
もちろん新規が総集編に手を出すかという疑問も同時に存在するのだが。
しかし、本編を「まとめた」のではなく、「省略」したというふうに思える。
そして、新しく作られた部分だが、このピングドラムに関しては正直いらなかったのでないかと思った。
本編でももちろん救済などをテーマにしていたが、本編ではもっと厳しめで、ぱっと見では救済されたのか?と思えたのは事実だ。
おそらく本編から11年が過ぎ、社会情勢はますます厳しくなり、以前のような伝え方では伝わらない、あるいは逆のメッセージを与えかねないと思ったのか、直接的に救済、励まし、愛情を伝えていた。
その結実がラストの子供時代の姿になった登場人物たちの「愛してる」連呼になったのだろうが、エヴァンゲリオンのありがとう連呼のオマージュに思えて(おそらく間違いないだろうが)気持ち悪かった。
上に社会情勢はますます厳しくなりと書いたが、
本編が2011年(東北大震災の年)に公開され、内容が1995年の地下鉄サリン事件の関係者を扱ったものであった。
ちなみに1995年には阪神大震災も起きている。
劇場版の公開は2022年4月29日と7月22日であり、レンタル開始が12月23日(ゲオ)であった。
ちなみに同年7月8日に安倍晋三銃撃事件が起きている。
制作開始時期を考えれば偶然なのは明白だが、安倍晋三銃撃事件により、宗教二世を描いた作品であることの意味ももう一枚乗っかったと思える。
さて、最終的な感想なのだが、
一流シェフのつくった手抜き料理(しかも余計な工夫をした)を食べさせられた感じがする。
本編の総集編なら、いっそそれだけでよかったような気がする。
なんなら、開き直って解説に徹するとか。
いちばん望ましいのは完全新作(新エピソード)だが。
上で書いたように、伝え方が変わったが、それが本編の印象まで変えてしまいそうで嫌だった。本編が辛さの中に甘みがあるカレーやキムチ、インドネシア料理のようなものだったとしたら、これはそれに砂糖やはちみつをかけてしまったような。
しかし、元が一流シェフだから食べれてしまう(つまり見れてしまう)。が、やはり前の方がよかったなあと。
新年はアンダーグラウンドを読もう。