あとがきで少し触れているように、ルワンダ中央銀行総裁日記と同じ企画だ。
ルワンダの方は1972年発行で、赴任したのが、日本が高度経済成長をしている時なので、日本のサムライが後進国のために頑張る。
いちど引き受けた以上手を抜かず、真摯に全力にぶつかるという内容に読めた。
その意味で、わかりやすく感情移入というか、熱い気持ちに共感しやすい。
ところが、キルギスの方は、赴任が93年、94年(それ以後は海外顧問として、要は日本に住みながら、年に数回キルギスに行っているということだ)。
その後日本のバブル崩壊、アジアの通貨危機などがあったので、ルワンダのような単純に、さまざまな困難を気合と根性と誠意で頑張って乗り越えるという話ではなくなる。
もちろん、著者の性格や文章のクセもあるだろう。
IMFや外務省の態度というか、考え方と現場の思いや感覚のズレ(文章では抑えているはずだが、IMFや外務省の害悪ぶりをビンビン感じる)。
赴任直後は、敗戦から経済大国になった日本のイメージが、徐々に経済大国から大失敗した日本に変わったりと、ルワンダと違い、頑張りはしたが、、、というところも書いている。
また、日本の経済援助にたいして、威張る必要はないが、
日本の経済援助ですよ、ときちんとアピールはした方がいいなど、今にいたるまで日本ができていない見解がある。きちんと中央アジア諸国と親密になって、国連で協力してもらえるようになども。国連ではロシアも1票、キルギスも1票。
非常に面白く読めた。
読み終えて、思ったが、戦後の日本経済について、成功や失敗の分析をするべきではないだろうか。
どうも、バブル崩壊からの失われた30年の失敗の原因は、もちろんやるべきでなかった政策や経済状況があっただろうが、バブル期までの成功体験のなかに失敗の萌芽があったのではないか、と思える。
「高学歴ワーキングプア」からの脱出も読んだ。
読んだ後味は非常にイヤーなものであったが、同時にスッキリもした。
高学歴ワーキングプア問題は結局うやむやになって、解決されない(というか解決しようともされない、ただ現在の40代以上のいわゆる高学歴ワーキングプアの1作目の頃のドンピシャの世代がいなくなれば、後輩たちはその状況をみているはずだから、ある意味覚悟のあるやつしかいないので、問題自体がなくなる)。
まあ、日本はこれからどうなるのか、、、、、