今朝、職場に送ってくれた同僚の方と車中で夢の話になった。
で、夢を扱った映画で「インセプション」が面白いという。
そういえば最近映画も観てないし、ツイてもないし。
というわけで「インセプション」と「ゼロの未来」を借りてきた。
まずはインセプションから観る。
なるほど、何回も観たくなる。
ポイントになるのは、どこが夢で現実なのか、ということであろう。
細かいことはおいておいて、最後の場面はどうなのか。
それはどちらでも良い気がする。
現実ならば、ちゃんと子供にあえてハッピーエンド。夢ならば、世間的にはともかく、多少ディストピア的ではあるが、幸せな夢に閉じこめられました、という変則的なハッピーエンドということであろう。
個人的には夢に閉じこめられる方が好みであるけど。
あとは雑感。
深い夢ほど時間の進みが遅くなる点は相対性理論なり、浦島太郎なりを惹起させる。
この作品ではいわゆるパラレルワールドとは違い、相互に影響を与える多層世界として夢を描いている。そのときにウラシマ効果があるということは、各階層の夢が基準地からの距離で規定されているということになろう。基準地はおそらく現実世界だろうが、深層心理(虚無)でも構わない気がする。
深層心理(虚無)はリンボ界のことだが(ネット上でこの作品の写真で夢の階層を書いているものがあった。そこではちゃんとLIMBOとあった。)、リンボ界であるなら大人になるときに置いてきたものがあるはずだが、それは特になかったように思われる。
そして、モルという物語のキーパーソンの女は、一応現実には死んでいるということになっている。しかし彼女が主人公であるコブに与えた(悪)影響は甚だしい。
コブとモルが現地での体感時間50年間もかけて作り上げた世界(虚無、リンボ界)にはコブとモルの2人以外の人間が登場しない。また、現実に帰ったモルはそこを夢だと思い込んでいるので、子どもたちのことを現実の子どもではないとして自殺して(彼女の信じる現実に帰ろうとして)しまう。これはモルは実は子どものことを不要だと思っていたのではないか、と推測される。
そもそもモルを演じるマリオン・コティヤールはたいがいワガママなくせになぜか主人公にベタボレされている役を演じている気がする。
また、夢の設計をして抜け道をもつくる女性の名前がアリアドネというのには、ニヤリとしてしまう。なるほど、だから「迷宮」なんだな。
明後日あたりもう一度観てみようと思う。