国家

近代的な意味で国家は、必ず国民を有する。

その際、国家から国民に対して様々な保護やサービスがなされる。

仮にこれらを御恩とでも名付けよう。

御恩をなすためには金が必要となる。そのため、税という手段で国家は国民から金をとる。金以外にも場合によっては労役や用地提供をする必要がある。徴兵などもある。

これらを奉公と呼ぶことにする。

もちろん、これらの呼び方は鎌倉武士のそれらになぞらえている。

昨日書いた

国家とは何か

というのは、国家は国民にとって、益と害どちらをなすものなのか、ということである。

もちろん、人それぞれ、立場や考え方によっても異なるだろう。

しかし、単純化してしまえば上の御恩と奉公のバランスが取れている、或いは御恩の方が奉公よりも大きいものであれば益をなし、

受け取る御恩よりも差し出す奉公の方が大きければ害をなすものといえる。

 

この御恩を受けるには、多くの場合、その国の国籍が必要となる。

しかし奉公を差し出すには、これも多くの場合、国籍に関係なく、無国籍であってもよい。

その意味で、無国籍の人々と定住外国人の問題は重なるところもある。

 

なお、国家という用語は、「その地域に居住する人々に対して統治機構を備えた政治組織」(Wikipedia日本語版、国家)という意味で使っているが、

元来、漢語としては、

1、「特定の土地・人民からなり、統治組織をもつ社会」

という近代的用法に近い意味もあるが、多くの場合

2、「朝廷」

3、「皇帝・天子の別称」

4、「春秋戦国時代、諸侯の国と卿大夫の家の総称」

5、「首都」

の意味で用いられてきた(1~5の語義はすべて全訳漢辞海第四版、三省堂、国家による)。

近代的な国家よりも、皇帝や王の私的なものという意味あいが強い。

杜甫の「国破れて山河あり」の「国」も近代的なそれではなく、玄宗を中心とする唐王朝または、その唐王朝の首都である長安という意味である。