死闘の伝説

木下恵介監督「死闘の伝説」をみた。

圧倒的に面白かった。

たった83分の作品だが、5分が15分にも20分にも感じられた。つまらないという意味ではなく、濃密だからである。

では情報量が多いかというと、そんなことはない。

ストーリーは単純至極だ。

終戦1週間ほど前、北海道に疎開してきた一家の娘は、その部落長の息子との縁談がでていた。

乗り気なのは部落長の息子である。

一家がその縁談を断ったことにより狭く陰湿な村のなかで事件がおき、最終的には村人7人が死亡することになる。

これ以外に細かい設定がされているが、大筋こうである。

 

教訓めいたことを引き出そうとすればできないこともないが、意味はないだろう。

映画ではテーマがあるのか、純粋に娯楽として存在してテーマなどない、といった詮索も無用だ。

その理由はラスト30秒にあると思う。

ラスト35秒はその事件後(終戦後)の映像であり、カラーである。

脱輪か何かしたオート三輪をみんなで助け、解散しているのだ。

それまでずっと白黒であった。

また、カラーになる直前(と冒頭でも)この悲劇を知る人々もまたその魂に黙して語ろうとはしなかった、というナレーションが入る。

何というか、事件が風化しているのだ。表面的には。

或いは人間の歴史(スケールを大きく自然の営みと言い換えてもよいが)の中でこういうことは起きて忘れられなかったことになっていくのだということをヒシヒシと感じた。

その意味で教訓やテーマの有無などどうでもいいのだ。

 

しかし、同時に事件の風化は、表面的に、である。

オート三輪を助けている時が、事件そして終戦からいつのときかわからない。

果たしてどれだけの人が事件後にそのまま住んでいるのか、または引っ越していったのかわからない。つまり、オート三輪を助けているなかに主人公たちがいたかもわからない。

表面的には本当に過去の事件のことなんか消え去ったようだ。しかし、ラスト15秒、オート三輪が助けられ走り出すところでビヨンビヨンというムックリの音が鳴り続けるのだ。

それは不安というか、消すことのできない自覚しているかも分からない悪感情を表しているようで、最後の「終」字があらわれたときもムックリの音は消えない。

この作品では全編通して、ムックリが鳴り続ける。

You Tubeで聞くものはもっと明るいものもあったが、同じビヨンビヨンでも作品中にながれているものは不思議と嫌な気分にさせ、不安をかきたてる。

 

ムックリではないが、台湾の高砂族の楽器や歌が使われていたセデック・バレを思い出した。

 

しかし、面白かった。

みていて爽快なことは1つもない。少しだけ良い場面はないわけではない。主人公が仙台に旅立つときユリちゃんとの会話や買い物に行く弟と姉の会話などだ。しかし、その前の場面や行く末をみてしまうと、、、、、。

だけれども面白かった。