整備不良
今年は厄年。
そのためか、新年から体調がよろしくない。
そして、初詣に行けないままだった。
今日こそ初詣に行こうとしたら、パトカーに停められた。
車のリアのライト、ブレーキランプが左右全て切れている。
警官も、片側だけなら注意で済ませられるけど、これは事故に直結するから切符をきります、と言う。
まあ仕方ない。
たしかに事故る前で良かったとも言える。
反則金は7000円。
明日は公休日。修理工場は、やっているかしらむ。
その後、友人の車でいくつかの寺社を回るも、既に営業時間外で参拝できなかった。
職場でも今週は予定通りとはいえ、面白くないイベントがある。
まったく厄年だ。
いやいや、事故る前で良かった。
警官も、爺さんなんかにぶつけられたら、あんたがブレーキ踏まなかったから、あんたが悪い、なんて必ず言われてしまうよ、なんて言っていた。
さあ、整備しよう。
もう今年は(正月行事としての)初詣はいいや。
人魚の眠る家など
そういえば、昨日みた「バーニング劇場版」は、
話のつくりというか、観た感じが、台湾映画の「牯嶺街少年殺人事件」に似ていた。
最後の場面まで、主人公たちの日常が丁寧に、ゆっくりと描かれる。
牯嶺街の方は、カタストロフまで、閉塞感はありつつも坦々とした日常で、
バーニングは上映時間の半分ほどで、カタストロフの原因が、はっきりと描かれるという違いはある。
また、牯嶺街はカタストロフ後のエピローグが描かれ、字幕でもフォローされる(この殺人事件は実際に起きた事件)のに対し、バーニングは、カタストロフ後も描かれず、そもそもその原因となる出来事についても、何も説明はされない。
想像力を刺激されつつも、何も説明されないまま(映画に)おきざりにされた感覚を楽しめる。
今日は、邦画「人魚の眠る家」を観た。
人の死というのは何か、ひいては延命治療の是非、在宅介護の負担、家族たちの温度差、ワークライフバランスなどの問題も描かれる。
分かりやすく泣ける。あざといくらいに泣けた。
小難しいことを考えなくても、俳優たちの演技に圧倒される。
人の死の定義に対する(製作者の)考えは、西島演じる主人公の父親のセリフで
(脳死よりも)心臓が止まった時
に娘が亡くなったことを実感したという。
ここでいう製作者は、監督なのか、それとも原作の作者なのかわからない。
原作小説があるようだ。
また、ラストシーンで、移植された臓器の記憶も描かれる。
自宅で介護したり、医療工学(の人体実験的な療養)を享受できる設定上、仕方ないことだが、主人公一家は大企業の社長の家族である。また、臓器移植された患者は主人公たちの近所(恐らく歩いていける距離)に住んでいる。
というのが気にはなった。
小川洋子のエッセイについても感想を書きたいが、明日にしよう。
パンダ手帳
グリーティングライフのパンダ手帳を買った。
小型の方は、うしろの方にパンダ情報が載っている。
これがありがたい。
というより、この情報を毎年買っている。
手帳としては上手く使えたためしがない。ただし、これは個人的な資質の問題。
ところで今回は、訂正が2箇所あった。
彩浜(サイヒン)の写真が2枚とも香香(シャンシャン)になっていた。そのため、訂正用に彩浜の写真シールがついていた。
また、シンシンがシャンシャンを加えているシールもおまけについていた。
掲載情報は2019年3月時点のもの。
そのため、9月にベルリン動物園で生まれた夢想と夢円の双子などの情報は載っていない。
レッドパンダ(レッサーパンダ)などでも、こういう手帳が出たらいいなあ。