元日

年が明けた。

初詣に行った。

 

デンジャラス・ビューティー2をみた。

昨日(大晦日)に1をみた。胸がスカッとする。

読書やゲームでも言えることだが、新作よりも旧作の名作を繰り返しみたい。

これを尚古の精神と言えなくもないが、年齢を重ねたせいだろう。

 

テレビもなく、引きこもっているせいもあるが、年々正月感がなくなっている。

カンフー・ヨガ

昨日、ジャッキー・チェンのカンフー・ヨガを観た。

わざわざ劇場で。

25点。

元々ジャッキーの映画は古い香港映画よろしくストーリーがない。

あるいは悪者を捕まえるなど最低限度しかないことが多い。

その意味で点数は低くなる。

今回もそうだ。

しかし、今回はそれ以外にも正直どうかと思うところが多かった。

まず、ヨガ成分がほとんどない点。

少なくともタイトルに入っているならもう少しなんとかしてほしかった。

また、政治的配慮やスポンサーに対する配慮が過ぎる点。

仕方ない部分もあるが、アイアンマンよりもひどかった。

また、ストーリーの穴というかなんというか、特に気になったのが2つ。

一つはジャッキーたちが、これこそ人類の宝という書物の原本(悪党はそれらを、こんなものはいらないと言うのに対して)を武器にして戦っていた点。

もう一つは地下神殿に修行者たちが来たとたんに、争いをやめた点。これはなぜ争いがやんだのかわからない点と、隠されていて存在を知られていなかった地下神殿に普通にくることができる人々がいる点の合わせ技で不審だった。

良い点は、王玄策をテーマ(実際にはマガダ国のヴィ―マ将軍がテーマ)とした点。これは中国とインドをつなぐものとして仏教関係者以外だと当然と言えば当然の候補ではあるが。

若手の俳優がたくさん出ていたが、ストーリー上不要に思えるのが多く、偏見だが顔つきも似ていて、余り好もしくなかった。

劇場で見る価値があったとは思えない。

帰りにキングスマンのDVDをレンタルした。

歴史教育

高校の歴史の教科書から歴史用語が大量に削られる、かも知れないというニュースがあった。

リストラされる用語の中に人名も挙がっている。

候補として

坂本龍馬大岡忠相武田信玄上杉謙信吉田松陰などだ。

様々な意見がでている。もちろん私にも意見はある。

まず何のために教科書に載せるかどうかの基本方針を策定するべきであろう。

当たり前のことではあるが、実際には高校教育がどうというよりも、結局は大学入試にでるかどうかが基準になるのである。

ありえない想像だが、仮に大学入試などと無関係に、教科書に掲載する歴史用語を決めるとしても、参考書が厚くなり授業では教科書を使わなくなるだけだろう。

管見した中で、もっとも本質的ではない議論は

誰々は教科書から削除してもよいが、誰々は削除したらダメというものだ。

テレビの討論番組で、ある人が、その人の好きな人物は削除したらダメだと言っていた。理由はその人物がいることで歴史は面白みが増すとかなんとか。まるで他の人物は削除しても歴史の面白みは増さないというか、変わらないとでも言いかねない様子であった。

全くの情緒で言っていて、つまらない。要は自分の好きな人物は教科書に残してほしいというだけだ。

それに合わせて、私も些末な意見を。

削減するということは、いわゆる世代間の常識に断絶が生まれることは間違いない。

居間で家族みんなでテレビを囲む時代でもなく、また時代劇もほとんどない現代、学校ですら習わなければ大岡忠相大岡越前)や武田信玄上杉謙信などどこで知ることができるだろう。よほど身近に歴史好きな人がいるか、山梨、新潟など地元の人でもなければ知るチャンスが失われる。

良し悪しはともかく、戦前と戦後で皇国史観的な英雄は日本史から一掃された。記紀の神話も歴史から追放され、楠木正成新田義貞はまだしも、児島高徳行方不明だ。また、勤皇思想家と言われた藤田東湖頼山陽高山彦九郎(土下座)などは今かえりみられることもない。

それでも戦後すぐはまだ、戦前の講談が残り、テレビもまだ普及する前だったから、何とかなった。太平記など一部の例外はあるものの、平家物語など軍記物もまだ一般的であった。

それが徐々に、学校のカリキュラムが変わるたびに断絶はすすんでいった。

今回、確実にその断絶は決定的なものになるであろう。

しかも、それが日本史である。

国民のアイデンティティーはなくなるね、こりゃ。

体調よりも気持にダメージ

体調が思わしくないので、念のため病院へ。

医師曰く、痔瘻が再発しているかも、とのこと。

とりあえず抗生剤と軟膏で様子見。

年明けに診断。

今年はなにか祟っているように思えてしまう。

抗生剤をこんなに使って大丈夫なんだろうか。

ただただヤな感じ

映画「クラッシュ」をみた。

連環的にエピソードが語られる。

各エピソードはまあ、面白くはある。

しかし、通して映画として考えると正直あんまりだった。

43はただの短編集だったが、この映画を短編集とみるべきかどうか。

湊かなえの「物語のおわり」のようなものだ。

なんというか、差別はよくないというテーマ性が売りなんだろうが、むしろ邪魔である。

登場人物すべてがクソである。いや、例外といえば錠前修理の人とその家族だけはまあ、クソではなかった。

一応90分みれる「バベル」のような視聴感だった。

バベルと比べるのもアレだけど。

年末なのに落ちつかない。

清水ミチコのひとりジャンボリーに行ってきた。

とても面白かった。清水ミチコのサービス精神に感動した。

2時間強ずっと笑っていた気がする。

隣に座っていた女性がシンバルを叩くお猿さんのように、狂ったように笑って手を叩いていた。

同行した友人によると、自分も狂ったように笑っていたらしい。

客層は老若男女色々いたが、カップルはあまりいなかったような気がする。

わりと年取った母親と娘と見受けられる2人組が多かったように思える。

 

結局時計はオーバーホールせずに、電池とベルトだけ交換した。

いつかは寿命がくるのだろうが。

40年ほど前に父が買った。当時5万円ほどだったという。

それを祖父に使わせて、現在は自分が使っている。

 

親知らずは年明けに抜くことになった。

歯医者から帰ったらなにやら鈍痛がする。

体調全般よろしくないが。