ボラット

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習を観た。
既に予備知識があって観たため、様々な見方がある。
まず、ドキュメンタリーコメディの形をとっており、基本的にはボラットを演じているサシャ・バロン・コーエンとアザマットを演じているケン・デイヴィシャン以外は全て何も知らずに、つまり無許可で撮影されているということになっている。
しかし、実際には説明されていたり、製作側が役者や道具を準備していたりする部分もある。なので、一つの場面の中にも準備された人と純粋に騙されている人とが混在していることもある。
この製作側が用意した人や物を考慮すると、この作品にはどぎついドッキリという評価しかない。しかし皮肉なことだがカザフスタンという国名を世界中に広めたという功績があろう。
考慮しない場合は、つまり純粋に映像だけで判断すると、やはりホームパーティーに売春婦が入ってくる場面が一番心に残る。
ボラットに酷く不愉快な目にあわされたせいでもあるが、上品な人々は差別的で偽善的で、まさにサマリヤ人を差別しながらも同胞を助けないユダヤ人そのものである。同時に売春婦は社会的にも物質的にも取り繕うべきものがなく、いわゆる礼法のないせいもあるが、上品な人々と違いボラットを差別せず友人として扱う。ボラットのセリフの「(売春婦に向かい)名前があってた。みんなボラクやビリー、ボブとか(と呼んできちんとボラットと呼んだのは君だけだった)」にはグッときた。まさに売春婦のルネルはマグダラのマリアであろう。
だが、この売春婦は製作側の送り込んだ女優である。そうなるとこれは意図的にマグダラのマリア的な役割を振られたことになる。ちなみに上品な人々は何も知らされていない。純粋に善くないユダヤ人である。
この製作側の準備を意識するとしないとただのバカな映画としてみるのも悪くない。
明日はブルーノをみようかな。