SNS界隈で、現役の国語教師が読書感想文不要論(というより、害悪論)を唱えて、それから読書感想文に対する意見が盛り上がっている。
色々な意見が出ているが、私自身は否定的だ。
もっとも大きな理由は、感想文を書かせる目的がわからないからだ。
宿題だから書かせるんだ、というのは堂々巡りの議論でお話にならない。
で、目的なのだが、
・原稿用紙の使い方や、文章の書き方を身につける
・読書習慣をつけさせる
あたりか。
ひとつひとつには賛同できるし、異論はない。
しかし、原稿用紙の使い方なら、あえて読書感想文である必要はない。日記でも調べ学習のまとめ(報告)でも何でもよい。
また、文章の書き方を身につけるというのがくせもので、文章は内容によって書き方が変わるのが普通だ。むしろレポートや報告書、あるいは書類など感想文などよりも知らないといけない文章や文書の書き方は高校までに習う機会がほとんどない。
感想文などは普通公表しない、または気心の知れた知人にしか見せない。最近はSNSにあげる人も多いが、これも割と(書く段階では)プライベートなものだ。
その意味では好きに書けばいい。
教師の中には「好きに書けばいい」という人もいるが、それなら何のために学校で扱うのか、という疑問に戻る。
そして、好きに書くには制限が多い(ことがよくある)。
原稿用紙の枚数や、指定図書の有無など。
更に、感想文というが、実態がレビュー(この本を誰かに知らせたい)なのか感想(特に誰かに知らせる意図はない)なのかがはっきりとしない。
レビューであれば、場合によっては良くない点も書くべきであろう。まれではあるが、酷評することもある。扱う図書を自由に選べれば、酷評せずに他に良い点の多い本の感想文を書けともいえるが、指定図書の場合はそれができない。
ところが、読書感想文では、なぜかネガティブなこと(つまらなかった、あるいはこれこれの点がおかしい、間違っている、不愉快だなど)を書くと注意されることが多い。たとえ、理由や根拠を書いてもダメだったりする。
そうすると、どうしようもない指定図書の感想文で、否定的なことは書けない。さりとて書くことがないからと少ない文字数で提出しようとしても、原稿用紙3枚は必ず書けなどと指定されている。となって逃げ場がなくなる。
さすがに読書感想文で成績が決まる(点数が決まる)ことは多くないみたいだが、これも採点基準が不明瞭であることも賛同できない。
また、教師の労力(場合によっては能力)が足りないため、提出された感想文の添削も行われない。つまり、仮に悪い感想文を提出しても、次回良くなることはない。なぜなら、悪い点の指摘も改善策の指導も行われないからだ。
提出したか、未提出かということしかチェックされないのは問題だ。
指定図書の害についてはここでは触れない。思想制限の面よりも、恐らくは感想文を読む教師の都合だろう。
逆説的に、ブログなどで読書感想文などを書いている人たちに、学校で書かされたものが有益だったか聞いてみるのも一興だろう。
結局、文章の書き方を学ばせたいなら、読書感想文ではなく、調べ学習のレポートあたりでやるほうがいいだろう。