以前も同じことを書いたが、
政府が今回の改元で、新元号の出典に国書を用いてもいいと考えているようだ。
私は断固反対だ。
ネットでもいくつか、このことに反論している記事があった。
おおむねそれらの記事には賛成だが、あることだけなぜかどの記事にも書いていない。
ひとことでまとめにくいので、少し書いてみる。
まず、日本の古典は表記の点で1、ひらがなで書いてあるもの。2、かなと漢字が混用されているもの。3、漢字のみで書かれているもの(漢文とは限らない)に分けられる。
1はもう元号には使えない。仮にあけぼの元年やら、つれづれ二年などというひらがなの元号を採用するならばいいが、これはもう論外だ。
2はそもそも古典よりも現在の文章のほうが多いだろうし、もはや出典を求めず好きな漢字を選べばよい。もしかしたら、元号は好きな2字(まれに4字)を選ぶと思う人があるかもしれないが、基本的に古典中の同じフレーズまたは近い箇所から採られる。1字はこの書物、もう1字は別の本からということはできない。
必然的に3から採用されることになる。
しかし、漢字で書かれていても漢文で書かれていない万葉集のようなものは採用できない。
となると、漢文で書かれたものしか出典にはできない。
さて、その時、採用された字に込められる意味は、基本的にその字が取られたフレーズの意味を参照することになる。たとえば昭和なら百姓昭明、協和萬邦。平成なら内平外成または地平天成の意味が込められている。
つまりこの元号の時代がどうであってほしいか、願いが込められているのだ。
そのため、適当な書物を使うことは難しい。
例えば、中国の古典でも穆天子傳を出典としない理由がそれだ。
さて、日本の古典でそういう治世の願いをこめられるような内容のものがあるだろうか。
ない。
全くないとは言わないが、結局中国の古典籍に由来がある。
報道でちょいちょい書かれている、凌雲集や文華秀麗集など漢詩集であって経書でも史書でもない。
それとも、神泉苑の宴会の詩から採用するのだろうか。
ちなみに、香淳皇后は懐風藻の安倍広庭の春日侍宴と山前王の侍宴から1文字ずつ採っている。これは別にいい。
しかし、和書から採用された諡はこれが初めて。
元号に戻って、仮に伊藤仁斎の論語古義から採用するなら、論語が出典のはずだ。
まさか、論語古義の古義(註)部分にこだわるならともかく、註を出典にするわけがない。
この記事を書いている時点(30日23時45分ころ)で、約36時間後に発表される新元号。
もちろん、よき世になってほしい。それだけに変なケチがつかぬよう、中国の古典(個人的には五経)から採用してほしい。