歴史教育

高校の歴史の教科書から歴史用語が大量に削られる、かも知れないというニュースがあった。

リストラされる用語の中に人名も挙がっている。

候補として

坂本龍馬大岡忠相武田信玄上杉謙信吉田松陰などだ。

様々な意見がでている。もちろん私にも意見はある。

まず何のために教科書に載せるかどうかの基本方針を策定するべきであろう。

当たり前のことではあるが、実際には高校教育がどうというよりも、結局は大学入試にでるかどうかが基準になるのである。

ありえない想像だが、仮に大学入試などと無関係に、教科書に掲載する歴史用語を決めるとしても、参考書が厚くなり授業では教科書を使わなくなるだけだろう。

管見した中で、もっとも本質的ではない議論は

誰々は教科書から削除してもよいが、誰々は削除したらダメというものだ。

テレビの討論番組で、ある人が、その人の好きな人物は削除したらダメだと言っていた。理由はその人物がいることで歴史は面白みが増すとかなんとか。まるで他の人物は削除しても歴史の面白みは増さないというか、変わらないとでも言いかねない様子であった。

全くの情緒で言っていて、つまらない。要は自分の好きな人物は教科書に残してほしいというだけだ。

それに合わせて、私も些末な意見を。

削減するということは、いわゆる世代間の常識に断絶が生まれることは間違いない。

居間で家族みんなでテレビを囲む時代でもなく、また時代劇もほとんどない現代、学校ですら習わなければ大岡忠相大岡越前)や武田信玄上杉謙信などどこで知ることができるだろう。よほど身近に歴史好きな人がいるか、山梨、新潟など地元の人でもなければ知るチャンスが失われる。

良し悪しはともかく、戦前と戦後で皇国史観的な英雄は日本史から一掃された。記紀の神話も歴史から追放され、楠木正成新田義貞はまだしも、児島高徳行方不明だ。また、勤皇思想家と言われた藤田東湖頼山陽高山彦九郎(土下座)などは今かえりみられることもない。

それでも戦後すぐはまだ、戦前の講談が残り、テレビもまだ普及する前だったから、何とかなった。太平記など一部の例外はあるものの、平家物語など軍記物もまだ一般的であった。

それが徐々に、学校のカリキュラムが変わるたびに断絶はすすんでいった。

今回、確実にその断絶は決定的なものになるであろう。

しかも、それが日本史である。

国民のアイデンティティーはなくなるね、こりゃ。