解放王と十六翼將の物語は斯くして終わりぬ

アルスラーン戦記16 天涯無限を読んだ。

つまり、アルスラーン戦記を最後まで読み終えたということだ。

16巻だけに絞っても、様々な感慨がある。

読む前、読みながら、もちろん読んだ後、その時々に胸に去来した思いはとても書ききれない。

ネット上には既に酷評もそうでないものもある。

しかし、まずはとにかく終わらせてくれた。そのことだけでも作者へ感謝してもいいのかな、という気がする。

しかし同時に、本当にこの終わらせ方をしたかったのかを作者に尋ねたい気もする。

登場人物の処遇ではなく、あのような書き方でいいのか、ということをだ。

商業出版だから、好きなだけ書き、好きなだけ出版するというわけにはいかないだろう。もしかしたら16巻で必ず終わらせろと出版社から言われていたのかも知れない。

でも、或いはせめてもう1冊あれば、もう少し丁寧に描写できていたのではないか。

30年もかかった物語だ。馬琴が南総里見八犬伝を書き続けたのとほぼ同じ期間である。

八犬伝も正直かなりグダグダだ。それに比べれば遥かにマシではある。

マシではあるが、、、

 以下、思いつくままに列挙する。

ザッハークの設定が急に明らかになってバランスを崩壊させたと思う。

ザッハークを倒したのに、なぜアルスラーン一党がパルスを棄てなくてはならなかったのか。いくら群雄割拠の時代がこようと、エクバターナにいる道もあったろうに。

エラムのみた幻には覚えず涙がでた。思えば小学校高学年から読み始めた物語だ。あの場面だけは角川版のころのノリが、往時には勝てぬとはいえ、偲ばれた。

ラジェンドラのしおらしい態度も胸にくるものがあった。ラジェンドラアルスラーンを思って涙をこぼすとき、自分も一緒に泣いていた。ジャスワントのこともそうだ。

また、ここ最近は国王をシャーオと書いていた記憶がない。しかし、最終巻だと思えばこそ、最初のころの設定を思い出させてほしい。その意味で208ページの

 ラジェンドラの後継者には、「神前決闘(アディカラーニャ)」云々

とあったのは嬉しかった。

ギスカールが死ぬのはまあいいとして、以前の巻で、ケファルニス朝のはじめである云々とあった気がする。はたしてマルヤムはどうなるのか。ケファルニス朝が1代で終わるのか。ギスカールにも子がないのに。

クバードとイルテリシュが互いの右目を失ったところの記述は、マヴァール年代記のらザールとオルブラヒトの決闘と酷似していた。怒りはない。むしろあの頃の田中芳樹の文章を偲ぶよすがになったのだ。嬉しかった。

最終的な後継ぎはロスタムだ。最後まで王書(シャー・ナーメ)から採った名前だ(と思う)。シャー・ナーメを読もうかな。

角川版のほうが、カッパノベルス版よりも薄いのに詰まっていたようにおもうのは、思い出補正かあるいは、作者の文章の張りのせいなのか。

なんにせよ、物語は終わった。真に望むものであったかはさておき、作者にも自分を含めた読者にもお疲れ様だ。