純朴な兄と狡奸な弟と

日本書紀の神代と神武天皇紀を読んだ。

古事記日本書紀では、古事記の方が物語性が豊かだとよく言われるが、そうであろうか。

個人的には日本書紀の方が物語性があるような気がする。

そもそも物語性の豊さなんて主観によるので、何ともいえないが。

古事記日本書紀では記事の異同があるのは有名であるが、仮に同じ記事であっても書かれている箇所が違うこともある。

例えば、綏靖天皇が異母兄を殺した話。古事記では神武天皇の記事の最後に書かれている。日本書紀では綏靖天皇紀に書かれている。

恐らく古事記では、即位前のことだから、神武天皇が亡くなっているとはいえ、神武天皇の御代のことであると考えたのであろう。

日本書紀では、神武天皇は既に亡いので次の天皇紀に書いた。或いは主体が綏靖天皇だから綏靖天皇紀に書いた。もしかしたら三國志あたりに倣ってどちらに載せてもいいが、載せるべき事項の少ない綏靖天皇紀に書いたのか。

あくまで創造の域をでないが、面白い。

なるほど古事記日本書紀はセットなのだな。

岩波の書物誕生に「古事記日本書紀」とかあればいいのに。

 

また聖書や他の地域の神話でもそうだが、兄と弟がでてくると、たいがい兄が酷い目にあっている気がする。

日本書紀でも同様だ。

山幸彦と海幸彦然り、兄猾(えうかし)と弟猾(おとかし)然り、兄磯城(えしき)と弟磯城(おとしき)然り。

古代において兄はなにか悪いことをしたのか?

いや、弟が陰険に策略をめぐらし、自分に都合よく嘘をいって自覚のない共犯者をつくるのに長けていただけではないのか。