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娯楽だからこそ人権意識の低さで興ざめしちゃう

少林サッカーをみた。

中国や香港(香港も中国だが)映画を観ると、娯楽作品なのにつらく感じてしまう。

娯楽作品だから余計につらいのかもしれない。

他者に対する悪意のないからかいや、弱者に対する容赦のなさが日本やアメリカ映画の比ではないからだ。

ことさら日本やアメリカでいじめやからかい、差別がないなんてことが言いたいわけではない。むしろそれらは厳然として存在している。

しかし、少なくとも映画では表立ってそれを描かない。むろん、そういうテーマのものは別である。

ところが中国や香港映画ではそれを隠そうともしない。それはつまり隠す必要も、そういう意識もないということであろう。

少林サッカーに戻ると、ムイ(ヴィッキー・チャオ演じるヒロイン)に対する扱いのひどさに辟易とし、不快感を覚えてしまう。特にムイがバブルのころのような肩パッドの入った紫の服を着ている場面では、続きをみようか少し悩んだ。

ストーリーそのものは娯楽でいいだけに困ったものだ。

 

ムイ(広東語、恐らく普通語ではメイ、梅など)といえば、キョンシーリブートのばあさんを思い出す。

なんたる偶然か。同時にレンタルしている。

他には「痩せゆく男」「天使が消えた街」と暗めのラインナップ。

 

中国は、小説など文章でも差別的な表現をあまりにもあけすけにしているのが気になる。日本のものは逆に不自然に隠し過ぎ。時代劇などでも文盲の百姓がメクラと言わずに、盲いた(めしいた)だの失明だのと漢語を使うのは笑止千万。