善徳女王

国史記の新羅本紀、善徳王紀を読むと、最後に金富軾のコメントがある。

以下にまとめてみる。

 

まず、中国の女媧、呂雉(呂后)や武瞾(則天武后)を引き合いにだしている。女媧は伏羲を助けただけであり、呂后則天武后も時の皇帝が頼りなかったので、代わって政治を行っただけ。史書では皇帝とも王とも称されていない。どちらも皇后と書かれている。次に、自然の法則は陽剛陰柔、男尊女卑であるとしている。そしてようやく善徳女王に対しての賛である。

 どうして老女が閨房から出てきて、国家の政治を壟断することができようか。新羅では女子をたすけて王位につけた。乱世であるのに国が滅亡しなかったのは幸運なことであった。

続けて、中国の古典からの引用だ。不吉なことの前触れとして、書経には牝鶏が朝を告げるとあり、易経には痩せた豚が騒がしく跳ね回っているとある。最後にこのことを戒めとしないでもよいのだろうか。と結んでいる。

 

酷評である。ボロクソに書いている。

善徳王に対する批判、というより非難である。

政治的外交的な業績には何も触れていない。

ただただ女性であるという点を非難しているだけだ。

ひとことでまとめると、「女のくせに王なんかやりやがって」であろう。

しかし、こんなに悪く書かれていることに疑問がある。

 

まず、善徳王紀の最初の方の記事(唐から贈られた花の絵の話と、玉門池のガマの話)からは、善徳女王がその特殊能力(予知能力)を見込まれて即位したことがわかる。また仏教の保護にも熱心で、寺院の建立、僧を唐に派遣の記事も多くみえる。少なくともこの点では、金富軾にこきおろされる点はなさそうだ。

しかし、彼女の在位中、高句麗百済との抗争が激しくなる。そして、唐もこの三国間の争いに介入してくるようになる、というか新羅に助けを求められる。この時、新羅は劣勢であったようで敗戦記事が続く。あげくには唐の太宗から(新羅は)婦人を王にしているから隣国から侮られるといわれ、毗曇と廉宗には女が王では国をよく治められないと謀叛をおこされる。

結局、毗曇の乱を鎮圧し終える前に善徳女王は陣没してしまう。

おそらくは、このあたり(軍事的失敗と儒教的女卑思想)が金富軾のコメントにつながっているのであろう。

ちなみに善徳女王の後継は真徳女王である。つまり次の王も女である。

あれだけ女だからダメだと言っておきながら。

真徳王紀には金富軾のコメントはない。これも不思議である。

 

金富軾(1075-1151)は高麗朝の人。なので、善徳女王のころは唐はまだ太宗の治世であるが、コメントに則天武后をひきあいにだすことができる。

また、書経は牧誓からの引用。易経は姤卦からである。易経の解釈は恐らく王弼に従っていると思われる。が、羸の字にメスの意味があるのかは分からない。

 

韓国ドラマの善徳女王ではどのように描かれているのか、少し気になってきた。

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