感覚の違いかな?

国史記の新羅本紀、善徳王の十一年(642)。

金春秋が高句麗王に出兵依頼に行くエピソード。

金春秋が出兵を乞うと、高句麗王が以前新羅に取られた領土、竹嶺を返してくれた出兵してやると言う。

春秋は援軍依頼をしにきたのであって、高句麗王が新羅を救おうとしないで善隣友好の意志がなく使者である私を脅して土地(竹嶺)を奪おうとするなら、私は死ぬだけです、と答える。

高句麗王は金春秋が不遜だということで、春秋を幽閉した。

その後、春秋は人を介して善徳王にこのことを伝え、金庾信が一万人の軍勢と共に派遣された。

高句麗王はそれを知って金春秋を釈放、帰国させた。

なんというか、理解できない。

高句麗王はまだ分かる。個人の道徳と王の道徳は違うものだから、チャンスがあれば失った領土を取り返そうとするのは当然だろう。

問題は金春秋だ。なぜキレるのだろう。確かに高句麗王の対応は優しくない。しかし、仮にも使者なのだから、もう少し対応はあったのではないか。

しかも、金春秋を助けに1万人の軍勢を引き連れて金庾信がきている。その軍勢で百済を攻めればよかったのではないか。また、善徳王の許可を得ているとはいえ、春秋の意志で高句麗を説きにきたのだから、やはりキレる意味がわからない。

そりゃ、まあ、拘束されるわな。出兵など望むべくもない。