漱石研究年表を見に他の市の市立図書館に行ってきた。
既にプレミアムがついており、買うには値が張り過ぎる。
そのため、所蔵している図書館を調べてはいた。これはネットですぐわかる。
県内の公立図書館では一つしか所蔵していなかった。
ずっとみたいと思いつつ、何という理由もなしに(というか理由がないためか?)行かなかった。
場所は、、まあいいだろう。以前仲の良い友人と1度だけ行ったことがある場所だ。
そこは市立博物館と図書館が同じビルに入っている。
博物館の方をざっとみてから、図書館へ。
検索機で「漱石」のキーワードを入れると、すぐにデータにあたった。
そこで棚に行く。すぐに見つかった。
適当なページを開いてみた。ページは上下2段組みで、上段が年譜部分で、下段が注釈というか、年譜の根拠となる記述というか、そんなものがある。
存在は知っていたから、その凄さは薄々わかっていた、つもりだった。
実際に見ると想像していた以上に凄かった。
とりあえず、漱石が臨終するあたりと、小泉八雲の後任に帝大講師になったあたりを読んでみた。
漱石がそこにいた。
詳しいということだけではない。文章が素晴らしい。
無味無臭な日誌や調査報告ではない。なんというか、荒正人の熱(意)が感じられる。
読みながら、涙が出そうになり、胸にこみ上げてくるものがあった。
また、あとがきが素晴らしい。
荒自身のあとがきも良いが、それから五年後の増補版をだしたときの小田切のあとがきが名文であった。
荒は、無限に続く改訂作業をしながら亡くなったようだ。そして増補改訂版はどうやら、そのときまでに荒が整理したノート(原稿)を中心にして増補改訂したようだ。
荒はあとがきの中で、漱石研究が進めばそう遠くないうちに、(漱石研究年表よりも)もっと立派な漱石の年表(実際には時間単位での漱石の行動表)ができるであろう、というようなことを書いていた。
恐らくそれはないだろう。
それは漱石研究の発展を悲観しているのではない。もちろん研究者たちの能力を疑問視しているのでもない。
ただ荒のような情熱の人は現れないであろう、というだけだ。