新型コロナウィルスと同時期に、バッタがの異常発生(蝗害)していた。
アフリカから東進して、インドに向かっていたという。
幸いに、日本には(現在までのところ)直接的な被害はないからか、報道が散発的でよくわからない。
どうやら、ヒマラヤを越えることができず、また西にUターンしてアフリカにかえったグループ。ヒマラヤを越えずに回折して中央アジアに広がったグループなどがいるという。
中国の南西部に入ったグループがいるのかどうか、、、。
だいぶ前に「バッタを倒しにアフリカへ」を読んだからか、古代から世界中でおこってきた蝗害だからか、少しく関心がある。
で、たまたま西村寿行の「蒼茫の大地、滅ぶ」という小説があるということを知った。
これは日本の東北地方が蝗害によってどうなるかを描いたパニック・サスペンスだそうだ。
さっそく読もうとしたが、自分が利用している図書館の蔵書にはなかった。
仕方ないので、これは相互貸借の依頼をだして、代わりに(というわけではないが)おなじく西村寿行「滅びの笛」と「滅びの宴」を借りてきた。
滅びの笛(以下、笛)は、山梨県に鼠が大量発生して、どうなるかを描いたパニック・サスペンス。
滅びの宴(以下、宴)は、その続編で、今度は東京が鼠の大量発生によって壊滅するさまを描いたものだ。
面白いのは笛の方だ。鼠の大発生のメカニズムや、それに関わる人たちの人物描写などが丁寧であった。
主人公のひとり、沖田克義にはいろいろあって感情移入してしまった。
山梨県が東京(と政府)から見捨てられ、鼠と同じく敵視されるところなどは、特に面白い。
宴は、笛の2年後、再び鼠が大発生するという話だ。
前作(笛)とは違い、人物描写や鼠そのものはあまり丁寧に描かれていない。むしろ、災害時のパニック状況を描くことが主になっている。
前作と違い、登場人物の内面などはあまり描かれず、記号として動いているだけのように感じる。そのためか、セリフに違和感を感じることが多かった。
特に右川博士は、セリフの内容はともかく、口調が安定せずに、
「〇〇じゃ」、「わしは〇〇」のような年配の(往年のイメージとしての)博士口調のときもあれば、「〇〇です」、「おれは〇〇」などの口調になっているところも少なくなかった。前作では博士口調でほぼ統一されていた。
鼠(の大発生)にいたっては、パニック状態をつくるための舞台装置というだけで、笛の続編としてでなければ、テロでも、他の災害でもいいように思える。
特に沖田広美と真弓の扱いは、(ある意味で作中の男たちが彼女たちにしたように)悪い意味で便利使いされてしまい、興ざめしてしまう。
発表は、笛が76年、宴が80年なので、現代だとおそらく批判されるような描写も少なくない。先に書いた沖田広美と真弓など女や、いわゆる(肉体)労働者などの描かれ方など。
また、当時は世界も日本も人口がどんどん増えているときだったので、作中でも鼠の大発生(や生態系の異常事態)の原因が、乱開発や環境政策、そして人口が増えたために動植物の住処を開発したこと(個人的にはこれは乱開発とは書きたくない)にされている。
つまり、人間と開発される自然との対立関係が描かれている。
現在のように、人口減少期にはいり毎年、鳥取県1つぶん人口が減っているときが舞台なら、どのように描かれるのだろうか。気にはなる。
面白い小説だった。
蒼茫の大地、滅ぶも楽しみだ。