首里城が燃えた。
正殿や北殿、南殿など7棟が全焼した。
燃えている写真などのインパクトもあるが、事実そのものにショックを受けている。
自分に直接関係ないと言えば、その通りだ。
しかし、ニュースを知った朝から何となく力が入らない。
スマホの待ち受けも正殿にしているくらい好きだ。
そして、たぶん無意識に沖縄と言えば、首里城だったのだろう。
悲しいというのを通り越して、茫然としている。
象徴を失うというのはこういうことか。
ニュースで燃えている映像が映っている。
全焼だったからか、キレイに燃えていた。
燃えっぷりがいい、というのも変だし不謹慎だが
紅蓮の炎が建物の形をくっきりと浮かび上がらせていた。
聖徳太子没後、法隆寺の全焼(予言の映像)が見える人がいたという。
それはもちろん、聖徳太子の子孫の絶滅を意味するのだが、その全焼するときの炎の様子は、禍々しさをこえて、鮮やかな色で見栄えもよかったという。
そんな伝説を思い出した。
首里城自体は過去4回焼失しており(今回で5回目)、そのたびに再建されてきた。
焼失は1453年、1660年、1709年、1945年、そして今回2019年だ。
今回焼失した7棟は、
正殿、北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどうん)、二階御殿(にけーうどうん)、奧書院。
ここまで復元するのに30年かかった。
しかし、これは戦前の完全な復元ではない。まだまだ道半ばだ。
これから何年かけて復元できるのか。
せめて正殿だけでも、また見たい。