近所のおばさんが亡くなった。
亥年、数え73。
帰宅して車を停めようとしたら、おばさんの家の前に葬式の大きな提灯がかかっていて、おじさんと葬儀屋の女性が立っていた。
車から降りてすぐにおじさんに確認すると、やはりおばさんが亡くなってた。
そのまま焼香とおばさんの顔を見に、家にあげてもらう。
中には手伝いに来た親族が10人ほどと、おそらく急に訃報に接した近所の人が五月雨式にポツリポツリと。
おじさんに誘われ、まず焼香をした。祭壇も兄弟一同とあった花以外なく(こういうものなのか、これから飾るのかはわからない)白いだけで簡素であった。
ちなみにご夫婦に子供はいない。
遺体をみる。
元気な時は67キロほどあり、ふくよかだった。しかし、手術と放射線治療で33キロまでおちていた。とてもスリムで小柄になっていた。
また、放射線治療のため髪も抜けていたのでウィッグもつけたまま納棺されていた。
在りし日のおばさんはよく帽子をかぶっていた。さすがに帽子ではカッコがつかないか、と思った。
その後、おじさんとおばさんの妹さんに挨拶した。
妹さんが、〇〇さん(私)も体調はどうですか?ときいてきたので、
まあボチボチと。私も二年前に二度手術しましたので。などと答えると、
知ってますよ。姉さん(おばさん)は亡くなる少し前まで〇〇さんのことも心配してましたから、と。
すすめられるままお茶を飲み所在なく15分ほど座っていた。妹さん以外の親族とは知り合いではないので、静かに、ただいた。
車から荷物も降ろしていないし、所在もないしでもう一度おばさんの顔をみて、おじさんと妹さんに挨拶して失礼した。
弔問客には泣き崩れて腰が抜けたようになり、或いは客の方が死にそうな方もいた。
とてもよくわかる。
おばさんの性格、発言、行動どれも現代風ではない。しかし、厭味はない。
思い出すのは彼女に
〇〇さん、あのさぁ、、
と話しかけられたときの、あのイントネーション。
もう呼ばれることはない。
15年以上もお隣さんだった。
エピソードらしいエピソードは
・うちのアパートの住人との駐車場トラブル
・現在借りている駐車場を紹介してくれた
・一緒に食事と足湯に行ったこと
・私の入院中に前に勤めていた職場に電話して、私の連絡先を確認して、重大な連絡を病院にしてくれたこと
・とんでもない年齢の女性を紹介しようとしてくれたこと
くらいだ。多いとは思えないが、ひとつひとつが大切なものだ。
何回かお宅へ上がらせてもらった。
人は死ぬ。それは摂理であるし、死んだところで世界も周囲も(急には)変わらない。
しかし寂しい。
年齢的にも患っていたご病気の面でも、仕方ないよね。という感じはする。だから悲しくはない。
しかし寂しい。
亡くなる前になんで一度でも見舞いに行かなかったか後悔している自分と、
見舞いに行かなかったために、元気な姿しか覚えていないことに安心している自分がいる。