韓国映画「息もできない」を観た。
スゴイ!! 本当にスゴイ映画だった。
観ているうちにヒロインのヨニが可愛らしくみえてくるのは、韓国映画のお約束だが、この映画ではそれだからこそ終盤がつらい。
物語の最後の方で、マンシクとヒョンインの母(サンフンの姉)は再婚するような雰囲気だった。サンフンの肉親は普通の暮らしを手にできそうだ。
しかし、ヨニはどうだろう。
ヨニの父は何やら小康状態のようだが、ヨニの弟ヨンジェは、そしてヨニはどうなるのだろう。サンフンを殺したのがヨンジェだと分かった時、マンシクやヒョンイン一家とヨニの関係はどうなるのか。
結局ヨンジェは第二のサンフンになるのであろうが、、、サンフンのような優しさや哀しさを持ち合わせているのか? なければ原題の通りクソバエになるだけだろう。
ある意味でこれは輪還映画だ。ループものではないが、ループのなかの1つを切り取ったという見方はできなくもないだろう。
しかし、この輪還は、つまり貧困またはDVの連鎖でもある。
観終わった後に、何か熱いような冷たいような、もたれるような何かが残る。
しかし、何かがわからない。
感動とか情熱のようなものではないが、では悲しみや絶望かというとそれもまた違うような気がする。
また、屋台やデリバリー、家での食事場面がうつるが、例外なく汚かった。
こう、食欲をそそるのそそらないのというレベルではなく、しつけのされてない野良犬も、結構です、と言いそうな汚さだった。
マンシクが最後まで善良(取り立て屋、地上げ屋ではあるが)なことに意外さを覚えた。てっきりヨンジェはマンシクの指示で殺したのかとも思ったが。
サンフンが仕事を辞めることをマンシクに告げる場面で、マンシクのセリフ、
俺は社長だから当然取り分が多い。
だが若い奴らにもちゃんと分け前はやったよ。
取り立て屋でさえこうなのに、一般企業の経営者に聞かせてやりたい。
余談だが、マンシク(役の人)は松平健に似ている。
映画から覗く韓国社会は、なるほどツラそうだ。ルソーやホッブズらのいう社会契約以前の万人の万人に対する闘争状態のようだ。
まあ、日本もそういう社会に逆戻りしているが。
サンフンがヨニに膝枕する場面、泣きそうにはなるが、泣かなかった。上記の説明できない何かが腹におちていくように、タイトル通りに息もできずに二人を見守るしかない。
この場面で残りまだ30分もあった。
ヨンジェの凶行で残り10分弱。サンフンの死ぬところはみていられないが、目をそむけることもできない。
最後の場面、一瞬で何かがわかった。しかしつかめない。それは雷をつかむようなものだろう。何をつかんだかすらもうわからない。二度とはつかめないだろうことが、ヨニの姿にかかるエンドロールと共に理解されるのだ。
泣ける場面もないわけではないが、いわゆる泣き映画ではない。
前戯映画でもない。
暴力映画といえなくもないが、やはり名作としかいえない。