新元号は令和(れいわ)。
典拠は万葉集巻の五、梅花歌三十二首幷序
決まったことは仕方ないが、気になる点をいくつか
まず、再三書いているように、典拠が中国の古典に拠っていない。
そして、日本の古典に拠るにしても、漢文で書かれたものでなく、万葉集から採用されている。ただし、採用された部分は漢文で書かれている。
なぜせめて、きちんとした漢文の書物にしなかったのか。
事前の報道では凌雲集や文華秀麗集が挙がっていた。また、香淳皇后のように懐風藻でも六国史でもよい。
また、字面について、令(れい)という響きが冷たいというのは主観なので構わない。
響きは慣れればなじむ。平成も最初は「へーせー」という響きが間が抜けていると言われていた。
しかし、令には「立派な」という意味もあるが、「命令する、~させる」という意味もある。
そもそも元号そのものを文としては読まない。
しかし、読もうと思えば文として読めるものも多い。また、名詞としても解せる。
例えば、明治は明るく治める。または明るき治世。
大正は大きく正しい。または大きな正しさ。
昭和は昭らかに和す。または昭らかなる平和。
平成は平らかに成る。などと読める。
令和は、和せしむ(和するようにさせる)と読めてしまう。令月や令息のように素晴らしい平和と読めなくもないが、令にはやはり使役のイメージが強い。
有識者会議のメンバーに色々疑問がある。たとえば山中教授は有識者かもしれないが、元号の選定に関わることに関して適任とは思えない。
典拠についても、平成のように複数挙げることもできたはずだ。
万葉集の件の部分は、王羲之の蘭亭序と文選の張衡「帰田賦」を踏まえて書かれている。
蘭亭序の方は令の字がないが、帰田賦の方には令も和もある。
文選は慶応など典拠になったことは多い。
令和の典拠には、文選と万葉集というようにすれば良かったのに。
また、典拠の文章からどのような治世にするのか、意気込みも理想もわからない。
要は春はいい季節だ、ということだけだ。
とはいえ、決まったことは決まったこと、よき世になればいいな、とは思う。