韓国の文在寅大統領がマレーシアを訪問して、マレーシア語で挨拶したつもりが、インドネシア語だったということで、大変な批判をされている。
外交的に非礼だということだ。
ちなみに文大統領がした挨拶は、
selamat sore.
マレーシア語では
selamat petang.
soreもpetangもどちらも夕方の意味。
韓国のある新聞の日本語版(インターネット)では、非礼だとする理由を、マレーシアとインドネシアは過去に、マレーシア連邦の成立をめぐり戦争をした国同士だからだとしていた。
その理由の妥当性はともかく、なぜこんなことが起きたのかを考えてみたい。
仮にこれが、日本と中国ならおそらく起こらない。
つまり、日本にきた大統領(なり公人)が你好と言ったり、反対に中国にきた公人がコンニチハと言うことはないだろう。
それは有名無名というより、明らかに別言語であるという認識が強いからだ。
同時に日本語と中国語は(書面はともかく)互いに通交しない。日本語話者が中国語を、その反対も普通は理解できない。
ところが、韓国または北朝鮮を公人が訪れた際は、今回の文大統領のようなことが起こりうる。
それは韓国語と北朝鮮語は基本的に同じ言語で、互いに通交するからだ。
もちろん方言のように多少言い回しや単語が違うことはあるし、発音も違うだろう。
しかし、鹿児島弁話者と秋田弁話者よりも、よほど理解できるはずだ。
ここで、言語が別なのかどうなのかをいうとき、言語学的な意味と、政治的な意味があることに留意するべきだろう。
政治的な意味とは、例として1948年以前は朝鮮半島の言語はひとつであった(方言は除く)。しかし、1948年に韓国と北朝鮮に分断してから韓国語と北朝鮮語に分かれたのである。
ドイツとベトナムでは逆のことが起きている。
西ドイツ語と東ドイツ語はどちらもドイツ語に、南ベトナム語と北ベトナム語はベトナム語になった。
ひとつになったからといって、西ドイツの訛と東ドイツの訛がおなじになるわけはない。
つまり、これは政治的な理由で、言語をわけているのだ。
このような例として、ドイツの北方で使われていた方言が、ドイツ北方がオランダとして独立したのでオランダ語となった。
ちなみに、ベルギーとルクセンブルグはこのとき、オランダとは別に独立したが、ベルギーで使われているオランダ語はフラマン語といい、ルクセンブルグで使われているドイツ語は、ルクセンブルグ語となった。
フラマン語は要はオランダ語なのだが、オランダのオランダ語と区別するために用いられることが多い。
反対に上述の鹿児島弁と秋田弁はまったく相互に理解できないが、同じ日本のなかで使われているので、別言語ではなく、おなじ日本語の方言として扱われている。
さて、ではマレーシア語とインドネシア語はどうかというと、ほとんど分かる。
マレーシア語話者がインドネシアに、インドネシア語話者がマレーシアに行っても、日常で支障をきたすことはないくらい、相互に理解できる。
ことが国と国の外交なので、気軽にも言えないが、
マレーシアの人たちもselamat soreで理解できているはずだから、まあいいではないか、、、というわけにもいかないんだろうなあ。