撫我則后(我を撫すればすなわち君)
とあった。
優しくしてくれる者が君主という意味だ。
沖縄の
物呉ゆ者ど我が御主
を思い出した。
これは第一尚氏が皆殺しにされ、第二尚氏に王統が移ったときに、発せられた言葉だという。しかし、これは中山世鑑にも蔡鐸の中山世譜にも見られない。
恐らくは芝居か何かのセリフなのだろう。そしてそのセリフを発したのは鶴髪の翁(この人物は世鑑にも世譜にも現れる)であろう。
当時の琉球でも知識人はきちんと四書五経を読んでいることは、世鑑や世譜に易経や書経、韓詩外伝などが引用されていることからもわかる。
ならば「物呉ゆ者ど我が御主」は「撫我則后」を翻訳したものではないだろうか。