ハンニバルを観た。
名作の評価に恥じない。映画として、羊たちの沈黙よりも良い。
映画(に限りはしないが、とにかく映画)は見る時の状況によって感想が変わることも多い。
今回、クラリス・スターリングを通して、なぜ私はこういう女性が仕事で頑張る映画が好きなんだろうか、と考えていた。
サンドラ・ブロック主演の映画も然り、プラダを着た悪魔やマイ・インターンも然りだ。
別に女性に限定している気はないが。
それは結局、個人が仕事に忠実に励んでいるのを、周囲に理解してもらえず、結果として組織から浮いたり疎まれたりしている作品になっているようだ。
これは男性でももちろんあるが、というか身につまされるが、女性の場合はいわゆるガラスの天井があり、よりビビットに描きやすいということであろう。まあ、集客の問題もあるだろうし。
大抵の映画では最後は、周囲も主人公を認め(協調性がないのはそのままで)ハッピーで終わる。恐らく主人公も、私はこのままでいいんだ、と自己肯定をしている。
デンジャラス・ビューティーなどはもろにこれ。
或いは働き方を変えていくこともある。その場合、周囲というのが職場とプライベートの二本立てで語られ、仕事にのめり込むも、職場でも良い顔をされず、プライベートでもしくじっていく。プラダを着た悪魔はこれだ。
さて、羊たちの沈黙やハンニバルは、というと珍しくバッドエンドだ。結局クラリスは自己肯定もできず、キャリアを(全てが彼女のせいではないにしろ)棒に振り、といって別の道をさがすこともできていない。
猟奇やプロファイル、カニバリズムなどに目が行きがちだが、そういう目でクラリスを追うと悲しくなってくる。
そこにもってきてセクハラなどを受けているし。
バカな味方よりも敵であるレクター博士の方と理解し通じ合えている。
これは洋の東西古今を問わずよくあることだが。
今日はハンニバル祭りといこうかと思っていたが、やめておこう。
他に借りたのは、レッドドラゴン2種(1つは刑事グラハムー凍りついた欲望ーのリ・ネームで、レッドドラゴンーレクター博士の沈黙ー、もう1つはその再映画化)、ハンニバル・ライジング、ドラマ版ハンニバルのシーズン1の1。
再映画化や再販売はともかく同名をつけるのはわかりにくいのでやめてほしい。