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字幕などよりも文庫本などで日本の近代文学の注はもっと酷いことになっている

ウィンターズ・ボーンを観た。

爽やかさはみじんもない。

面白いことは面白かったが、もう一度見たいかというと困ってしまう。

映画の中で語られる重要な謎は、結果として一つも明らかにならない。

その意味で伏線が回収されないとイヤな人には勧められない。

もちろん、それ以前の問題もある。恋人同士の甘い時間や家族団欒のためにみるものではない。

 

雍正王朝を引き続き観ている。

ドラマはともかく、字幕が途中(レンタルのDisc 5くらい)からおかしくなっている。

それも突然だ。

例を挙げると、年羹堯が年庚尭に、魏徴が魏征になっていた。

これらは正字(いわゆる繁体字)を簡体字に直したもの(羹は簡体字でも羹。羹と庚は発音がどちらもgeng1で同じ)だから分からなくはない。しかし何故物語の途中からなのか。しかも日本語字幕を読むであろう日本人には簡体字にする意味がない。また、よりにもよって徵の字の簡体字「征」はそれだけで別の意味(通常の征)を持っている。

登場人物の名前が喬引だったり引喬だったりする。恐らくフィルムに打ち込む際のミスだと思われる。

他にも用字の不適当は多くある。例えば「みやこ」の意味で京という字を用いている。もちろん京には「みやこ」や「首都」という意味があるから間違いではない。しかし、この字幕をみる多くは日本人であろう。現在どれだけの日本人が京という一字をみて「首都」である東京や「みやこ」のことを思い浮かべるか。きちんと東京と書いてあれば、もちろん東京だが、京一字なら京都のことであろう。

もしこれを、セリフに忠実に訳したというなら、人物の呼称をセリフ通りにしないのと矛盾する。

呼称を(セリフに関係なく)統一したのは視聴者の便宜をはかったのだと思い感心していたのだが、もしかしてそうではなかったのか。

他にも歴史的な知識の欠如に起因すると思われる間違いがチョイチョイ見受けられる。

ドラマ設定上、史実と変えているのはもちろんこれに含めていない。

このようなおかしな字幕は、他の字幕翻訳者にも言えることだが、外国語の問題ではなく教養の問題ではないのか。

もちろん、じゃあお前はできるのか?と言われると困るが、それを生業としているのならもう少し頑張れよ、とも思う。

 

ちなみに、呼称の統一は、例えば皇帝のことをセリフでは

皇上、皇爺、陛下、皇阿媽

などと呼んでいても字幕では一貫して陛下だったり、

即位前で一皇子であった雍正帝をセリフでは

四阿哥、四爺、四哥

などと呼んでいても字幕では殿下となっていた。

これは非常に視聴者には便利であるな、と感心していたのだが、、、、