ロンドンが落ちたのではなく、アメリカが凋落したのだ

エンド・オブ・キングダムを観た。

アメリカ公開が2016年3月、日本公開は同年5月。

前作よりも娯楽性というかゲーム性みたいなものは増した気がする。

1人称視点のガンシューティングなら高評価であろう。

一方、政治シミュレーションとしては、状況設定には得心がいくものの、解決方法には問題ありとせざるを得ない。

テロリストの素性が前作と違い、中央アジアや中近東を根城にする武器商人になった。平たくいえばイスラム教徒だ。

確かにアメリカやイギリスなどいわゆる西側諸国は狙われて当然と言えば当然だ。

しかしこの映画は、過去の歴史的事件を描いているのではない。それなのに、基本的に国名などは実名を用いている。私が政治シミュレーションとよぶ所以だ。

まず違和感というか、不快感を覚えるのが直接・間接に殺される首脳がドイツ・フランス・イタリア・カナダ・日本だ。イギリスの首相も実は暗殺されていたのでこれに含めてもいいだろう。ちなみにロシア大統領は欠席している。

アメリカ大統領以外はみんな死亡だ。

物語上そっちの方が盛り上がるし、緊迫感がでるのはわかるが何か腑に落ちない。

そして主人公の一人、SPのマイクの無用な残酷描写だ。

劇中にも大統領から「殺す必要はあったか?」と尋ねられ「いや」とこたえる場面がある。

メイキングをみる限り、これは前作を上回るスペクタクルなどを意図してやったみたいだが、これも不愉快になっただけで、危地に投げ込まれたヒーローという印象は全くなかった。

おそらく、一部には、危地だからこそ生き残ることが最重要であり、スーパーマンのようなヒーローなどSPなんかに求めるな、という声もあろう。これについては後述する。

何より、不愉快だったのは、大統領救出後、テロの黒幕にアメリカ副大統領が電話をかけ、通話の最後で「窓の外を見ろ」という。すると黒幕のいる建物が空爆される。というラスト直前というかエピローグ直前の場面だ。

国家として正式に攻撃された上に、首脳が襲われ拉致、殺害される一歩手前までいかれたのだから、報復することは納得できる。

しかし、今回の事件に限っていえば、英仏加日独伊とも協調するべきではないだろうか。描かれていないだけで協調できなかったかも知れないが、ここに私は、アメリカの願う、強いアメリカ、やられてもやり返せるアメリカという像をみてしまう。

結局この映画を通して透けて見えるのは、

アメリカ自身が思っている、あるべき理想像としての、強いアメリカ

アメリカ自身が実感している、現実に是認している、昔のようには強くないため必死になっているアメリカ

であった。特に後者のほうは、先に述べたマイクの残虐行為や前作でも描かれていた副大統領を筆頭として右往左往するだけの対策本部として描かれている。対策本部に至っては、右往左往すらまともにできず結局すべてをマイクに任せかつ頼る始末。

国際政治の美徳と個人の美徳は違うことは重々承知している。

しかしこの映画でのアメリカからは、以前の頼られる存在から徐々に頼られなくなっている現状を認められない、なんだか子離れできない中年オヤジみたいな傲慢さと滑稽さや悲哀を感じてしまう。

最初に書いたように、娯楽としてはまあ政治的背景さえ考えなければ楽しめる。

しかし、考えたとたんに胸糞わるくなってきてしまう映画であった。