ミセス・ダウトを観た。
雰囲気としてはコメディと感動とがいい割合で配合されている、、と思っていた。
少なくとも以前みたときはそうだった。
しかし、今観なおしてみたらだいぶ違う感想だった。
まず、誰に感情移入するか。恐らく以前みたときはダニエル(ミセスダウト)か、子供たちだったはずだ。それならまあ問題ない。
しかし今はミランダや彼ら全員を俯瞰でみることができる。
すると、ダニエルが良き父親であっても良き夫でないことが充分すぎるほど分かる。いや、子供たちが成長していくにつれ良き父親であることも難しくなっていくだろう。
そしてミランダの苦悩である。口うるさい常識人と毎日がお祭りみたいな人では、そりゃ子供はお祭りをとるだろう。しかし、それは常識的なことがあって非日常(特別)でのお祭りなのだ。毎日お祭りでは色々なことが破綻してしまう。
ミランダのセリフ(の字幕版)「なのに私が悪者にされる」によく表われている。
最終的にミランダはダニエルとの復縁を選ばなかった。
映画の中で一年後の調停ではどうなるかわからないが、恐らく復縁しないだろう。
また、レストランのシーンでのドタバタは楽しむより先にドキドキしてしまう。どう考えても社長との会食優先だとも思うし。
家庭訪問院セルナーが、アン・ヘイニーだったのは嬉しかった。ライアー・ライアーのグレタを演じた彼女だ。マスター・キートンにでても遜色ない。
ライアー・ライアーで思ったが、ジム・キャリーはロビン・ウィリアムズのようになりたかったのではないか。