日がな一日、書経を読む。
今文尚書を読んでいた。
虞署はやはり身近に感じない。聖天子(堯と舜)の世はあまりに遠すぎて人気(ひとけ)が感じられなかった。
夏書は今文では、禹貢と甘誓だけなので、何とも言えない。しかも有扈氏を討ったのは夏の啓だと言われているが、墨子や荘子などには禹だとされ、呂氏春秋では夏の相のことだとされる。いずれにしてもあいまいでやはり遠い。
商書になると、多少近くなり、王だけでなく、臣や民の顔もみえてくるようになる。
周書は、現代からたどっていけば確かにここに繋がるだろう、という感じが得られる。
記述の量と内容からこんなにまで遠近が感じられるとは思わなかった。
禹貢も地理書であるのに面白く感じた。地理書には苦手意識があるが、水経注や日本の風土記にも挑戦してみようか。
偽古文尚書を読んだらどう感じるのか楽しみだ。