映画「セッション」をみた。
良い映画とはなにかを考えてしまう。
決してつまらないものではない。しかし爽快さもなかった。つまるところ、描いているのがシゴキだけなので丼もののような、おかず一品のみの弁当のような印象。話も分かりやすい。
最終的にあの先生は指導とイジメが区別ついていないだけであった。
映像だけから読み取れるものではないが、大人の態度でおそらくこういうことが言いたいのかな、ということを推察すると、星一徹と飛雄馬親子のような師弟関係を描きたかったのだろう。
ただし、観ている最中に昔きいた「(プロを目指すや全国大会に出るなど、ある程度以上のレベルに届くには)楽しみながらやるだけではダメだ」ということを思い出していた。裏を返せば全国大会など目指さなければ楽しいだけでいいのではないか、と思うのだが。
日本の学校における部活に関してもなにか出てきそうだ。
三国史記から脱解尼師今の記事で信じがたいものがあった。以下、井上秀雄訳注の平凡社東洋文庫からの引用。
(あるとき脱解は〕楊山(慶州市の南山)の麓の瓠公の宅を望み見て、〔そこを〕吉兆の地と考え、相手をだましてその土地をとりあげて、そこに住んだ。
なにが信じられないって、まず王たるものが政略や武略ではなく人をだますところ。まあ吉兆の地を王家以外がもつのはけしからんと言えば言えるが。
また、土地をだまされ取り上げられた瓠公は脱解によって大輔に任命されている。信頼関係のあつい君臣というべきか、なんというべきか。
ちなみに原文では「設詭計以取而居之」となっている。詭計ね。どうも王とはいえ、平時に使うには似つかわしくない気がする。