今年最後の図書館に行ってきた。
最近、趣味性が高いものだけでなく、技術系の本でも○○女子という書名が増えてきたような気がする。
なにか嫌なものを感じる。
が、考えてみたら、当の技術職の女性たちは買うことに抵抗はなさそうだ。むしろ堅い、従来の技術系の書籍の方が買いにくいかもしれない。そして男性側は、技術職の人は逆に買いにくくなっている気もするが必要があれば買うであろう。技術職以外の男性のうち、いわゆるオタクの人たちはコレクションとして買うであろう。つまり出版社としては従来よりも売り上げアップが期待される。
本当に嫌いな人は従来通りの堅い本を買うだろうし。大学などの講義でテキスト指定されない限り。
一見、損する者はなさそうだ。しかし、ひと昔前によくあった「サルでもわかる○○」や「バカでもわかる○○」のサルやバカのかわりに女子という単語を使っている感じを受けてしまうのだ。
海外体験漫画の白眉であった、「中国いかがですか」「トルコで私も考えた」「インド夫婦茶碗」のうち、結局インド夫婦茶碗だけが変わらなかった。というか、変わらず楽しめるように変化していったのだ。ある意味ではインドらしさは薄れていて毎日かあさん路線に変っていったとも言える。
いまさらながら痛感したのは他人を変えることの難しさだ。
他人を変えることは不可能だが自分を変えることはできる、とはよく言ったものだ。