あいまいな記憶、はたしていつ知った知識だろう

コーヒーをめぐる冒険のトレイラーをみて驚いた。

色がない!!

いや、白黒作品だったはずだ。思わず過去の記事を読み返した。

しかしどの場面も、記憶の中では色がついていたのだ。

そのギャップに驚いた。また、記憶が非常にあやうい存在であることにも驚いた。

 

オイディプス王を読んだ。

なるほど、内容は人口に膾炙しているし、あらすじは知っていたがきちんと読んだことはなかった。

アイスキュロスエウリピデスの悲劇にも興味をもったが、まずは着実に「コロノスのオイディプス」と「アンティゴネ―」から読んでいこう。

オイディプス王、コロノスのオイディプス、アンティゴネー、三つとも岩波文庫を図書館で借りてきたが、不思議なことにどれも訳者が異なる。

そして、他の出版社のギリシャ哲学ものもギリシャ文学ものも訳者や著者はみなどれかの解説に書かれている。ここ20年以内に出版されたものはわからないが、つまり古代ギリシャものは、少数の学者がどのようなジャンルもこなしていたということであろう。

恐らく、研究が進めば進むほど細分化(悪く言えばタコツボ化)も進み、このジャンルはこの人、というふうに分かれていくであろう。

 

オイディプスは心理学のエディプス・コンプレックスの由来としても有名だ。

しかしエディプス王では違和感がある。やはりオイディプスだ。

同様にオイディプス・コンプレックスというのも変な感じがする。

不思議なものだ。