コーヒーをめぐる冒険を観た。
まず、娯楽作品ととらえるのか、いわゆる人生とはみたいなテーマ性のある映画ととらえるのかで印象はかわる。
というのは、この映画は白黒でとられており、アクションやロマンス的なところがない。ラブシーン、、になりかける場面はあるけれども。
また、公式のホームページは割とポップで、進歩的な大学生(流行りの用語だと、意識高い系)あたりがみそうな感じ。ドイツアカデミー賞を6部門受賞している。
そのため、娯楽としてみる人もあるだろう。そういう人の何割かは、観はじめてガッカリするかも知れない。
さておき、娯楽作品としては、グランドホテル形式でサブキャラクターたちのお話を、連続して見ていくことになる。もちろん主人公ニコの存在は希薄なものにならざるをえない。その意味でニコはうってつけにみえる。しかし、サブキャラクターたちのお話しの分量がバランス悪く、陰鬱になりそうなエピソード(アパートの住人、ユリカ、父親、老人)は長く、楽しめそうなエピソード(親友マッツェ、マッツェの役者友達、駅員(R2D2)、展開によっては免許センター役人とコロンビア豆のコーヒーショップの店員)は短い。そしてニコがなんのとりえもないのだが、妙に存在感があってグランドホテル形式になりきれていない。
なにより、胸がスッとしないのだ。アクション的な意味でも、ロマンス的な意味でも、世直し、仕返し、この際いじわる、どんな意味においてもスッとしない。とてもホームページにあるように
人生で少し立ち止まりたくなった時、様々な人と出遭い、喜び、傷つき、戸惑いながらも、次の道へとつづく扉を見つける。「大丈夫、また歩き出せる」という安堵感と未来への可能性が、私たちを励ましてくれる──そんな、少し苦いけれど心を温めてくれる、一杯のコーヒーのような物語が完成した。
とはならない。
人生とは、みたいな見方をすると、評価はあがる。
サブキャラクターたちの、性格や生活のゆがみをどう解釈するか、コーヒーや酒の象徴しているものを何ととるかがポイントであろう。
ただし、タイトルは狙いすぎ。原題がOh boyなのにコーヒーをめぐる冒険とは。しかも邦題、おそらく村上春樹の小説、羊をめぐる冒険のパクリだろう。これではホームページの雰囲気とは真逆で人生とはみたいなものと思ってしまう。
ま、ある意味どちらも不正解なのだが。
しかし不思議と観入ってしまう。時間が90分未満と短いこともあろうが、なんだかスッと入っていく。その意味ではホームページの
ニコとともに体感できる
だ。ラストはなんじゃこりゃ?でもあるが、まあ他のラストシーンもない気がする。
個人的にいいと思ったのは、やはりユリカだろう。
あのメンヘラなどという単語では追いつかない。きちんと病んでるところがいい。
太っていたことがコンプレックスであると同時に、自分自身の認識はやはり太っていて痩せてしまっている自分を認めていないところ。これはペッティング中のセリフと、ニコに拒否されたときに、ニコにすがるように理由を聞くところで推測される。
太っていたときのイジメを耐えて(イジメを無視)していたことを後悔しており、現在では全てを無視しないとしているところ。そのせいで本来無視したほうがよい、いや無視しなければならないような挑発にも反応してしまうところ。
しかもイジメの主犯(ニコ)を好きだったこと。そしてそのニコが以前と違い、魅力がなくなってしまっていた(大学を辞め「考え」中で物事に消極的になっていた)。とはいえ初恋の相手ではあるからと傷の手当てをしながら、途中激高しヒステリーをおこしそうになりながらも、ニコと交わりそうになる。ところがニコに拒否される。
ニコや視聴者の言い分では、おそらく拒否というほど強い単語はそぐわないだろうが、ユリカの立場から言えばあれは拒否だろう。
痩せてもニコに振り向いてもらえないと思ったユリカは、完全にキレてしまう。
いわく、相手には不自由していないだのなんだの。
こういう情緒が不安定でかつ矛盾にみちているところ。自己評価が低く自罰傾向にあるのに自分への愛に飢えているところが最高だ。
特に、ニコに拒否されてから、ニコが触れた時に「触らないで!!」などと叫ぶとこは、あの人が私を愛してくれないなら、私があいつを拒否してやる、とすり替えていることがビンビン伝わってくる。
いっそ、ユリカの視線で、ニコに受け入れられるパラレルストーリーをつくってほしい。
ニコと結ばれ、徐々に自己評価は高くなり、いわゆる傲慢になっていくユリカ。
それまでとは違った意味で嫌われるようになり、ついにはニコにも去られてしまう。
以前以上に自己評価が低くなったユリカは、、、
みたいなやつ。
その時は欧米人が好む女優ではなく日本人の好む女優にしてほしい。
病んでいるのが似合うのは誰だろう?