言語は文化

方言を知らない者に教えるときに、方言の単語や慣用句に3種類あることに気づく。

1つは標準語で置き換えることができるもの。

例えば、山梨の方言で「ぼこ」というのは、子供(ときに赤ん坊)のこと。

1つは、標準語で置き換えることができるが、ニュアンスが少し違うもの。

例えば、栃木や茨城の方言で「いじやける」というのは、標準語でイライラする、腹がたつ、ふてくされるなどがあたる。しかし、そのどれとも微妙にニュアンスが異なるようだ。

1つは、標準語で置き換えることができず、説明するしかないもの。

例えば、沖縄の方言で「ちーちーかーかー」というのは、標準語には相当する言葉がない(もしあったらこの項は書き直そう)。そのため、ゆで卵(完熟)やビスケットなど乾燥したものを食べて、口の中の水分が取られてしまいパサパサすること、通常ののどが渇くとは異なる、などと説明するしかない。

 

つまり方言と標準語は1対1で対応しているわけではない。そのことは意識しているかどうかはともかく、多くの人が知っているはずだ。

そしてだからこそ好きな地方の方言に暖かみや愛情を感じるという者もいる。

 

ところが上記のことを、方言と標準語から、日本語と外国語に置き換えると途端に理解できなくなる人が多いのはどういうことだろう。

日本語の単語はすべて必ずどの言語にもピタリとなおせて、向こうの単語もすべて日本語になおせると思っている人が多過ぎる。

 

方言のはなしとまったく同じことなのだが、日本語と外国語になるとわからなくなるのは何故だろう。やはり方言について「意識せずに」理解しているからか?いや、実はそもそも理解していなかったりして。

 

 

不動産屋が来る。水道代について、基本料金以上の額は大家が負担してくれるとのこと。具体的な支払方法はまた後日連絡するという。

まずは一安心。