ひとまず退院

とりあえず昼前に退院した。

退院前に頭痛の種がひとつ増えたので、午後その処理に追われる。

病院から帰宅したのが13時前で、ようやく座れたのが15時半。

しかし、16時からまた外に出なくてはならない。

座るのはあまり良くないが、さりとて立ちっぱなしがいいわけもない。

実際何回かズキリときたし。

現在15時42分。

詳細は明日以降にしよう。

平穏が欲しい。

芥川龍之介「英雄の器」

芥川龍之介の「英雄の器」を青空文庫で読んだ。

ショートショートと言ってもよいほど短い。

 

項羽を討ち取った日の夜、劉邦軍の酒宴が舞台。

 

その宴会で呂馬通が項羽論をぶっている。

項羽は、つまるところ英雄の器ではない、と。

途中から劉邦が、呂馬通にあいづちをうつ。

しかし、最終的に劉邦は、項羽は英雄の器だったと断じて終わる。

 

なぜだろう。勝利の宴会が舞台であり、作中に

 十人あまりの顔が、皆まん中に置いた燈火の光をうけて、

とか

 どれもいつになく微笑を浮べている

など明るい描写があるにも関わらず、陰鬱な印象をうけた。

もちろん個人的な感想なのだが、大敵を討って自軍の前途が開けるような晴れやかな印象は全く受けない。

むしろ、自分たちの主人である劉邦とは違った意味で、巨きな人物を亡くした憂いや後悔を酒で無理矢理抑えているようにすら思える。

そこに場違いな呂馬通の演説だ。

 

哀れでもあり滑稽でもありざまをみろとも言いたくなるが、結局項羽を下げることで、自分の主(劉邦)を持ち上げた呂馬通は、誰あろうその劉邦に否定されてしまう。

これはつまり劉邦も英雄である故、英雄は英雄を知るということであろう。残念ながら英雄ではない呂馬通はその意味で、項羽の英雄たることを見抜けない、小人として描かれてしまう。

 

読者は劉邦の数少ないセリフ、ほとんどあいづち、を通して、

一、英雄の器とは何か

一、項羽は英雄の器であったのか

一、劉邦項羽に対する想い

一、歴史の中で項羽を失った(項羽を討ち取った)後の劉邦の行く末

などを考えさせられる。

恐らく項羽その人は、歴史上割といるむやみに戦争に強くカリスマのある貴族の青年であろう。しかし中国史上、覇王といえば項羽となり、それこそ民族や文字の名前になるような帝国の創始者である劉邦を語る上で、必ず項羽と劉邦というようにセットで語られるような人物になる。

それは皮肉な目で見れば、史記項羽本紀があるためである。それも、そもそも講談などで項羽の描かれ方が美しい生きざまの英雄としてであるから司馬遷項羽のことを好きになっていたのであろう。

項羽は垓下で死んだ。

しかし、死んだことにより、中国人のいう青史に名を残して、永遠の命を得たのだ。

 

芥川の「英雄の器」に戻ると、

劉邦の「独り言」の(ような私には不機嫌なようにも感じる)ようなセリフからは、運命が用意した半身を失った劉邦の悲しみであり苛立ちを感じる。

読者として悲しいのは、劉邦がその半身を失うことすら運命であること。そして、劉邦にとっては項羽はかけがいのない半身であり大敵であって、項羽に勝っても負けても劉邦は大事ななにかを失うであろうことだ。

更には、逆の場合、つまり項羽にとって劉邦の存在とは、大敵であったり運命の半身であったりするのかというと、恐らくそうではないであろう。これは劉邦項羽の年齢や出身(劉邦は農民、項羽は楚の貴族)などにも起因するであろうが。その劉邦からの、ある意味で片想いのような関係も、読者の胸を痛めるのであろう。

純朴な兄と狡奸な弟と

日本書紀の神代と神武天皇紀を読んだ。

古事記日本書紀では、古事記の方が物語性が豊かだとよく言われるが、そうであろうか。

個人的には日本書紀の方が物語性があるような気がする。

そもそも物語性の豊さなんて主観によるので、何ともいえないが。

古事記日本書紀では記事の異同があるのは有名であるが、仮に同じ記事であっても書かれている箇所が違うこともある。

例えば、綏靖天皇が異母兄を殺した話。古事記では神武天皇の記事の最後に書かれている。日本書紀では綏靖天皇紀に書かれている。

恐らく古事記では、即位前のことだから、神武天皇が亡くなっているとはいえ、神武天皇の御代のことであると考えたのであろう。

日本書紀では、神武天皇は既に亡いので次の天皇紀に書いた。或いは主体が綏靖天皇だから綏靖天皇紀に書いた。もしかしたら三國志あたりに倣ってどちらに載せてもいいが、載せるべき事項の少ない綏靖天皇紀に書いたのか。

あくまで創造の域をでないが、面白い。

なるほど古事記日本書紀はセットなのだな。

岩波の書物誕生に「古事記日本書紀」とかあればいいのに。

 

また聖書や他の地域の神話でもそうだが、兄と弟がでてくると、たいがい兄が酷い目にあっている気がする。

日本書紀でも同様だ。

山幸彦と海幸彦然り、兄猾(えうかし)と弟猾(おとかし)然り、兄磯城(えしき)と弟磯城(おとしき)然り。

古代において兄はなにか悪いことをしたのか?

いや、弟が陰険に策略をめぐらし、自分に都合よく嘘をいって自覚のない共犯者をつくるのに長けていただけではないのか。

マタイはそりゃ民衆に嫌われるわけだ

この4月から職場を変えた。

給料が少しよくなった。というか以前が安すぎた。

ともあれ、まあ金額的にはマシになった。

そうすると市役所という悪の組織から手紙が届いた。

要約すると、

給料よくなった分、税金あと10万円払え

ということだ。

 

減免はこちらから相談にいかないとしてくれない(つまり相談に行かないと平気で取り過ぎた額で取ろうとする)くせに、余計に取れるとなったら、めざとく見つけてくる。

とても書けないような感情しか湧いてこない。

とても書けないようなことを祈っている。

恐怖のホスピタル 「切られた」というより「斬られた」

麻酔が終わり、いよいよ切開だ。

医者が、痛かったら言ってください、という。

これは歯医者でも言われる。

麻酔は効きが良い悪い、速い遅いがあるのだろう。

切開

サクリ

痛い!!

先生、痛いです。

麻酔の痛みなんて、これに比べたらくすぐったいもんだ

サクリ

痛い!! 痛い!!

ギャー 先生、痛いです。

叫んでしまった。見えないから余計に痛いのか、見えるよりはマシなのか

とにかく医者の手は止まらない。返事もない。

聞こえていないわけがない。

二度ほど叫んでもう諦めた。

いや、諦めたとかではなく、全ての精神力を傾注しなければ耐えられない。

冷静に考えれば麻酔が全く効いてなければ、そもそも耐えられないと思うが、そんなことに回る頭は当然ない。

頭の中には関羽井伊直政、井上多聞(のちの井上馨)、大久保利通など歴史上斬られた人物が浮かんでは消える。

今、思い出すと大久保利通など縁起でもないのが数人いた。もちろん気づかない。

キーワードは刃物・斬られた

だけだ。

切開の後処理の時、ぼんやりと

ああ、医療漫画でメスを体にいれるときの擬音語がサクリとかサクッというのは意外と正確なんだなあ

と思っていた。

終わってしまえばあっという間だが、恐かった。

とにかく恐かった。

 

部屋に帰って4時間眠ったら、風邪の兆候は消えていた。