今度は俺が残す番だ!!

近所のブックオフに行ったら、平凡社の中国古典文学大系が大量に出されていた。

1冊500円均一。

以前、逡巡して買い逃したことがあるので(2018年1月22日の記事参照。あのときは中国古典文学全集だった)、今回は迷わずに、持っていないものを24冊一括、12000円(税込)で買った。

金もないが、これは試練にみせかけた天恵だろう。

唐代詩上下だけは買わなかった。あと、1000円くらいとも思ったが、唐詩は多く出版されているし、読もうと思えば容易に読めるので、まあいいかと思い。

さて、大変ではあるが、ホクホクして帰ったら、電気代の請求書がきていた。

無職で部屋にいつづけているし、暑いのでたいして効きもしない冷房をかけっぱなしだから、高いだろうと思っていた。

封をあける。

約18000円。

昼は図書館やフードコートに出勤して、読書でもすることにしよう。

さいわい、読む本には困らない♬

七夕

今日は七夕だ。

なので、郝懿行の曬書堂筆録を読む。

牽牛(彦星)が織女(織姫)と結婚した時に、結納金二万銭を借りて、返さなかったため追放された話が載っている。どうも結納金は織女(織姫)の父から借りたようだ。

となると、牽牛(彦星)にとって七夕の日は年に一度、最愛の妻(あるいは恋人)に会える日、、、には違いないが、その妻の父に今年も返せませんと弁明したり、イヤミや叱責(ことによると罵詈雑言)を浴び、別居継続を言い渡される日なのかもしれない。

そうだとしたら、つらいなあ、でも面白いなあ

インドネシア大虐殺

中公新書インドネシア大虐殺」倉沢愛子を読んだ。

930事件から311政変までを述べた本。

平たくいうと、スカルノ大統領からスハルト大統領にかわるきっかけであり、インドネシア共産党共産主義)が弾圧・虐殺された原因となった事件の話だ。

今でも共産主義はご法度だ。

とても分かりやすく書かれていた。

インドネシア人の人名や略語、そもそもの情勢の複雑さなど読みにくいところはあるが、それは文章を丁寧に読めば問題ない。

あえてケチをつけるなら、

帯の中央に「謎多き 大量殺戮 の真相」と大書きされ(縦書き、空白は改行をあらわす)、右下に横書きで「事件はどのように起こり、 なぜ黙殺されたのかーー。 戦後アジア史の闇に迫る」とある(空白は改行)。

この謎を宣伝文句に使うなら、本文中でここが謎ですよ、あるいは謎の答えはこれですよ、謎が解けた過程はこうですよなどと指し示してもよかったのではないか。

 

よく新書で何冊かシリーズものにすることがある。

たとえば講談社現代新書の「新書中国史」や岩波新書の「シリーズ中国の歴史」などがある。

中公新書でも「物語〇〇の歴史」がシリーズ化しているといえば言えるが、戦後アジア史のシリーズをつくってほしい。

開発独裁の時代なんて、今こそ読みたい。

滅びの笛、滅びの宴 ねずみ大量発生

新型コロナウィルスと同時期に、バッタがの異常発生(蝗害)していた。

アフリカから東進して、インドに向かっていたという。

幸いに、日本には(現在までのところ)直接的な被害はないからか、報道が散発的でよくわからない。

どうやら、ヒマラヤを越えることができず、また西にUターンしてアフリカにかえったグループ。ヒマラヤを越えずに回折して中央アジアに広がったグループなどがいるという。

中国の南西部に入ったグループがいるのかどうか、、、。

だいぶ前に「バッタを倒しにアフリカへ」を読んだからか、古代から世界中でおこってきた蝗害だからか、少しく関心がある。

で、たまたま西村寿行の「蒼茫の大地、滅ぶ」という小説があるということを知った。

これは日本の東北地方が蝗害によってどうなるかを描いたパニック・サスペンスだそうだ。

さっそく読もうとしたが、自分が利用している図書館の蔵書にはなかった。

仕方ないので、これは相互貸借の依頼をだして、代わりに(というわけではないが)おなじく西村寿行「滅びの笛」と「滅びの宴」を借りてきた。

滅びの笛(以下、笛)は、山梨県に鼠が大量発生して、どうなるかを描いたパニック・サスペンス。

滅びの宴(以下、宴)は、その続編で、今度は東京が鼠の大量発生によって壊滅するさまを描いたものだ。

 

面白いのは笛の方だ。鼠の大発生のメカニズムや、それに関わる人たちの人物描写などが丁寧であった。

主人公のひとり、沖田克義にはいろいろあって感情移入してしまった。

山梨県が東京(と政府)から見捨てられ、鼠と同じく敵視されるところなどは、特に面白い。

宴は、笛の2年後、再び鼠が大発生するという話だ。

前作(笛)とは違い、人物描写や鼠そのものはあまり丁寧に描かれていない。むしろ、災害時のパニック状況を描くことが主になっている。

前作と違い、登場人物の内面などはあまり描かれず、記号として動いているだけのように感じる。そのためか、セリフに違和感を感じることが多かった。

特に右川博士は、セリフの内容はともかく、口調が安定せずに、

「〇〇じゃ」、「わしは〇〇」のような年配の(往年のイメージとしての)博士口調のときもあれば、「〇〇です」、「おれは〇〇」などの口調になっているところも少なくなかった。前作では博士口調でほぼ統一されていた。

鼠(の大発生)にいたっては、パニック状態をつくるための舞台装置というだけで、笛の続編としてでなければ、テロでも、他の災害でもいいように思える。

特に沖田広美と真弓の扱いは、(ある意味で作中の男たちが彼女たちにしたように)悪い意味で便利使いされてしまい、興ざめしてしまう。

発表は、笛が76年、宴が80年なので、現代だとおそらく批判されるような描写も少なくない。先に書いた沖田広美と真弓など女や、いわゆる(肉体)労働者などの描かれ方など。

また、当時は世界も日本も人口がどんどん増えているときだったので、作中でも鼠の大発生(や生態系の異常事態)の原因が、乱開発や環境政策、そして人口が増えたために動植物の住処を開発したこと(個人的にはこれは乱開発とは書きたくない)にされている。

つまり、人間と開発される自然との対立関係が描かれている。

現在のように、人口減少期にはいり毎年、鳥取県1つぶん人口が減っているときが舞台なら、どのように描かれるのだろうか。気にはなる。

面白い小説だった。

蒼茫の大地、滅ぶも楽しみだ。

読書感想文害悪論

SNS界隈で、現役の国語教師が読書感想文不要論(というより、害悪論)を唱えて、それから読書感想文に対する意見が盛り上がっている。

色々な意見が出ているが、私自身は否定的だ。

 

もっとも大きな理由は、感想文を書かせる目的がわからないからだ。

宿題だから書かせるんだ、というのは堂々巡りの議論でお話にならない。

で、目的なのだが、

・原稿用紙の使い方や、文章の書き方を身につける

・読書習慣をつけさせる

あたりか。

ひとつひとつには賛同できるし、異論はない。

 

しかし、原稿用紙の使い方なら、あえて読書感想文である必要はない。日記でも調べ学習のまとめ(報告)でも何でもよい。

また、文章の書き方を身につけるというのがくせもので、文章は内容によって書き方が変わるのが普通だ。むしろレポートや報告書、あるいは書類など感想文などよりも知らないといけない文章や文書の書き方は高校までに習う機会がほとんどない。

感想文などは普通公表しない、または気心の知れた知人にしか見せない。最近はSNSにあげる人も多いが、これも割と(書く段階では)プライベートなものだ。

その意味では好きに書けばいい。

教師の中には「好きに書けばいい」という人もいるが、それなら何のために学校で扱うのか、という疑問に戻る。

そして、好きに書くには制限が多い(ことがよくある)。

原稿用紙の枚数や、指定図書の有無など。

 

更に、感想文というが、実態がレビュー(この本を誰かに知らせたい)なのか感想(特に誰かに知らせる意図はない)なのかがはっきりとしない。

レビューであれば、場合によっては良くない点も書くべきであろう。まれではあるが、酷評することもある。扱う図書を自由に選べれば、酷評せずに他に良い点の多い本の感想文を書けともいえるが、指定図書の場合はそれができない。

ところが、読書感想文では、なぜかネガティブなこと(つまらなかった、あるいはこれこれの点がおかしい、間違っている、不愉快だなど)を書くと注意されることが多い。たとえ、理由や根拠を書いてもダメだったりする。

そうすると、どうしようもない指定図書の感想文で、否定的なことは書けない。さりとて書くことがないからと少ない文字数で提出しようとしても、原稿用紙3枚は必ず書けなどと指定されている。となって逃げ場がなくなる。

 

さすがに読書感想文で成績が決まる(点数が決まる)ことは多くないみたいだが、これも採点基準が不明瞭であることも賛同できない。

また、教師の労力(場合によっては能力)が足りないため、提出された感想文の添削も行われない。つまり、仮に悪い感想文を提出しても、次回良くなることはない。なぜなら、悪い点の指摘も改善策の指導も行われないからだ。

提出したか、未提出かということしかチェックされないのは問題だ。

 

指定図書の害についてはここでは触れない。思想制限の面よりも、恐らくは感想文を読む教師の都合だろう。

 

逆説的に、ブログなどで読書感想文などを書いている人たちに、学校で書かされたものが有益だったか聞いてみるのも一興だろう。

 

結局、文章の書き方を学ばせたいなら、読書感想文ではなく、調べ学習のレポートあたりでやるほうがいいだろう。

魔界衆と幻魔大戦

横山光輝の魔界衆と、石ノ森章太郎幻魔大戦を読んだ。

 

魔界衆は、先進文明をもった宇宙人の末裔(魔界衆)が飛騨に住んでおり、大坂の陣で敗れた真田幸村が彼等の力を借りて、徳川の天下を覆そうとする話。

天海が実は魔界衆の村から外界にでた人物であり、自身の出身である魔界衆を滅ぼし、徳川の天下を確定させようとしている。

なかなかに面白かった。魔界衆の宇宙文明があまりにも先進的(アダムスキー型の円盤や光線銃など)で笑えてくる。

 

幻魔大戦少年マガジンに連載していたもの。

以前100分de名著のなかで扱われていて気になっていた。打ち切りというか、断筆というか、ともかく話が中途に終わっているのは、番組でも扱われていて知っている。

しかし、あまりといえばあまりなところで切れている。

文庫版で530頁以上使い、地球側のメンバーが揃ったのか、これ以後もまだ新登場の予定があったのか、いずれにしても話がほぼ進んでいない。

なるほど、これでは終われない。仕切り直すにしても、続きを書くにしても、だ。

オカルト雑誌などの文通コーナーで、前世(異星人や妖魔と戦っていた戦士や異次元の国の王族など)の記憶をもった者たちを増産した漫画だったと思うと、さもありなんとも思うが、現在読むと、こんな素朴なのにそんなにまで自己投影するのか?とも思う。

ジャンルの最初の作品だから仕方ない。